「みんな動くな」。京セラの忘年会、酌をしようとした幹部を稲盛さんが制した。「一生懸命働いているのは君たちだ。俺がつぐんだよ」。心酔した
2022/10/07 11:00

稲盛和夫さん
■元ホテル京セラ総支配人 永田龍二さん(81)
鹿児島国分工場ができたばかりの1972(昭和47)年12月、京セラに入社した。31歳だった。直後に稲盛さんに心酔することになる二つの出来事があった。
その年の忘年会。乾杯の後、幹部らが社長だった稲盛さんに酌をしようとした。すると「みんな動くな。一生懸命働いているのは君たちだ。俺がつぐんだよ」と言って、一人一人に酌をして回った。それにも感激したが、あとで風邪をおして京都から駆けつけてくれたことを知った。
翌年は多忙を極めた。世界初の部品を作っていたが、歩留まりが悪い。納入期限に間に合わせようと、できたそばから空港に運ぶような毎日。ある日、社長から呼び出しがかかった。「こんな忙しい時に」と思いながら行くと、稲盛さんが「お、来たな。まあ飲め」と焼酎を差し出した。
一緒に飲んでいるうちに気持ちが高ぶり、「我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば煙はうすし桜島山」と大声で吟じてしまった。稲盛さんは「なぜこの詩を」と問いかけ、鬱憤(うっぷん)を吐き出させた。製品がなかなかできないこと、ギリギリでやっていること…。すべてぶちまけた。稲盛さんは「おーそうや」とだけ言った。
苦労を聞いてもらったことで気分が晴れた。口数は少なかったが、社員の気持ちを引っ張り出すことを大切にしていたと思う。以来50年、稲盛さんを人生の師として仰ぎ、薫陶を受けてきた。口癖のように言っていたのは「京セラにとって何が正しいか、ではなく、人間として何が正しいか、だよ」。この言葉を判断基準にして生きてきた。
訃報を聞き、稲盛さんとの思い出を箇条書きにしてきた。パーソナリティーを務めるFMきりしまの番組内に「巨星落つ」のコーナーを設け、週1回15分間ずつ紹介している。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)
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