ホテル京セラの上棟式。「社長の自室は最上階ですか?」と尋ねられた稲盛さんは否定した。「一般の客室を使うよ」
2022/11/01 11:00

稲盛和夫氏
■元鹿児島県商工労働部長 迫一徳さん(81)
稲盛和夫さんは鹿児島玉龍高校の1期生で、私は9期生。当時は面識がなかった。鹿児島県庁に入庁し秘書課に勤めていた時、企業誘致に注力した金丸三郎知事と稲盛さんとのトップ会談で、京セラが鹿児島に工場を造ることが決まった。この頃から、稲盛さんに親しみを抱いていた。
商工労働部にいた平成の初め、宿泊施設と商業施設を一体的に整備するテクノポリスセンター(旧隼人町)の企業公募に携わった。この時、京セラ興産からホテル事業に応募があった。
当時の土屋佳照知事は「京セラはホテル事業の経験がないと思うが大丈夫か」と懸念を示した。稲盛さんに確認すると、「世界に通用するものを造ることができる」と返事があった。「これまでの経験から、ホテルのあるべき姿、あってはならない姿をわきまえている」との自負を伝えられたのを覚えている。土屋知事は納得し、ゴーサインを出した。
知事の代理で出席した上棟式で、「社長の自室はやはり最上階ですか」と尋ねてしまった。稲盛さんは「自分が来る時は、一般の客室を使うよ」と否定。愚問を恥じるとともに、私事を優先しない人と確信した。
95年に完成した「ホテル京セラ」はグレードの高いしゃれた外観。チャペルがあり結婚式も挙げられる仕様だった。京セラの川内、国分、隼人の工場には若い社員が大勢いる。自社のホテルで従業員に挙式してもらえれば、との思いもあったのではないか。
テクノポリス構想では、ホテルの横に商業施設を造るということになったが、計画は行き詰まった。稲盛さんはホテルの落成式で酒を飲みながら、実現しなかった商業施設建設に対し、真顔で皮肉を言った。「俺は約束を守ったからな」
2001年、商業施設の建設予定地だった場所には、ホテル京セラの別館が誕生した。稲盛さんへの感謝の気持ちは生涯忘れない。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)
あわせて読みたい記事
-
鹿児島県ふるさと納税 寄付の対象に県立短大を追加 「母校応援プロジェクト」、4月1日から3月28日 11:35
-
秋朱之介の特別装丁本、古里に寄贈 長女が川内まごころ文学館へ 佐藤春夫著「魔女」3月28日 11:00
-
川村議長の辞職願を否決 西之表市議会
3月28日 10:36 -
閉校跡活用の野営場を評価 日本ボーイスカウト連盟が薩摩川内市など表彰3月28日 10:00
-
ライバル蔵元6社が連携 山梨ワインにならった新たな「焼酎ツーリズム」に期待高まる3月28日 09:20
-
淡いピンクの「エドヒガン」ひっそり咲く 自生南限地の湧水・川添地区で見頃3月28日 08:30
-
人間国宝らが出品者にアドバイス 鹿児島陶芸展4月1日開幕、9日まで3月28日 08:30
-
バイオリンの山之内真梨さん(京都市立芸大卒)が最高賞 鹿児島新人演奏会3月28日 07:30
-
関東鹿児島県人会連合会の600人が都内で交流 奄美の日本復帰70年に思い寄せる3月27日 22:30