「税金は道路を造り、困った人を救う経費だ」。納税をもったいなく感じた私を諭す稲盛和夫。「鹿児島餃子の王将」開店日に手伝いに来る頼りになる兄だった
2022/11/06 11:00

稲盛和夫さん
■鹿児島王将相談役・稲盛実さん(74)
7人きょうだいの次男の稲盛和夫は、末っ子の私の16歳差の「ちんけ(小さい)あんちゃん(兄)」だった。長男の「ふとか(大きい)あんちゃん」と比べた呼び方だ。和夫は京都から実家に帰ると、よく両親に仕事の話をした。その姿は幼い私にとって「頼りになるすごい存在」だった。
和夫が興した京セラの鹿児島川内工場(薩摩川内市)に勤めた後、1978(昭和53)年の初夏、両親と暮らすために会社を辞め、鹿児島市に戻った。その時、京都にあった「餃子(ぎょうざ)の王将」をのれん分けしてもらえることになった。
掛け合ってくれたのは和夫だった。王将で働き、独立を希望していた和夫の義弟と同年、「鹿児島餃子の王将」1号店となる中町店(鹿児島市)を開店。初日は和夫が手伝いに来て、水を配ったり、片付けをしたりと雑用をしてくれた。
店の経営で意識していた和夫の言葉がある。「借金はするな」。ずっとうまくいくとは限らないという戒めだ。必死に切り盛りする中、店が軌道に乗るまでは納税をもったいなく感じることもあった。和夫からは「税金は街の道路を造り、困った人を救う。経費だと思え」と諭された。スッと胸に落ち、納得できた。
和夫は両親を大切にしていた。鹿児島出張の度に、同市城西1丁目の実家に寄った。鹿児島王将のギョーザが好物で、焼いて出すと「実んとこのギョーザはどこにも負けない」と絶賛された。今春まで京都に送り、おいしそうに食べていたと連絡を受けていた。
私の妻さつきは、子どもへの接し方が印象的だったという。和夫は子どもに話し掛けられると、大人同士の会話を中断して耳を傾けていた。「草でも石でも自分の師になる。子どもの発言にはヒントをもらえる」との心掛けだった。
「実」という名前は和夫が付けたと本人から聞いた。「稲が盛んで実る。そんな人生が送れるように」との思いが込められていた。鹿児島王将がやってこれたのは、あんちゃんのおかげ。亡くなったのは、まだ実感が湧かないが、とても感謝している。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)
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