毎朝5時の散歩。何げない日常がどれだけ幸せか、元阪神の横田慎太郎が感じる時。大好きな野球は2度の大病に奪われた。でも初めて見えたものがたくさんある

 2022/11/20 11:00
早朝に散歩する横田慎太郎さん
早朝に散歩する横田慎太郎さん
【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑪】

 毎日当たり前に朝がやって来て、食事を取る。病気を経験してからは、その感覚が大きく変わりました。

 毎朝5時前に起きて、新鮮な空気を吸いながら散歩をするのが日課になっています。道すがら、すれ違う人たちと何げないあいさつを交わします。それが本当に「うれしいなあ」「ありがたいなあ」と思えるようになったのです。

 以前は「普通」だった何でもない日常を送れることが、実はどれだけ幸せなことなのか。病気にならなければ分からなかったことです。

 脳腫瘍(しゅよう)の時に一時見えなくなった目は、まだ元通りとはいかず、見るものがぶれたり、二重に見えたりという状態は変わっていません。脚と腰にも脊髄(せきずい)腫瘍の後遺症があり、たまに痛むことがあります。以前の体には程遠いですが、「絶対に元に戻る」と信じて、今まで以上に体をいたわるよう心がけています。

 散歩の前には脚(あし)をさすり、「今日も朝早くからお願いします」と声をかけます。家に無事帰り着いたら、「今日もありがとう」とまた話しかけます。そうすることで脚の痛みも落ち着き、よく動いてくれるような気がします。

 新しい朝が来ることは、決して当たり前じゃない。2度の病気が教えてくれました。一日一日を無事に迎えられることに感謝の気持ちを忘れず生活するようになりました。

 子どもの頃からプロ野球選手という夢に向かって努力することは苦になりませんでした。でも今思えば、それは自分のための努力でした。プロに入ってからは特に成績が一番大切で、打つこと以外は目に入っていませんでした。病気になり、多くの人に励まし支えてもらったことで、感謝や「人のために何かしたい」という思いが芽生えたのです。

 病気に大好きな野球を奪われてしまったのは事実です。でも初めて見えたものもたくさんあります。その経験を自分の言葉で語り、勇気と希望を伝えたい。そんな思いで講演を続けています。

【よこた・しんたろうさん】1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島に引っ越し、日置市の湯田小学校3年でソフトボールを始める。東市来中学校、鹿児島実業高校を経て、2013年にドラフト2位で阪神タイガースに入団。3年目は開幕から1軍に昇格した。17年に脳腫瘍と診断され、2度の手術を受けた。19年に現役引退。20年に脊髄腫瘍が見つかり、21年に治療を終えた。現在は鹿児島を拠点に講演、病院訪問など幅広く活動している。父・真之さんも元プロ野球選手。

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