「九州男児」は兵士を勇気づける言葉だった? 歴史をたどり“起源”に迫る 薩摩の方言「おい、こら」にヒントも
2022/11/19 15:00

佐賀県から日清戦争に出征した兵士の従軍日記。画面中央に「九洲男子」の文字が見える(鹿児島大学法文学部付属「鹿児島の近現代」教育研究センター蔵)
「一歩モ引(ク)ナ 此処ゾ 九洲男子ノ命ノ捨テ処」-。鹿児島大学「『鹿児島の近現代』教育研究センター」にある日清戦争(1894~95年)従軍日記の一節だ。佐賀県から出征した兵士が記した。
丹羽謙治センター長(59)=日本近世文学=は「少なくとも、この時期に軍隊で使われていたことが分かる。九州を一つにまとめて捉える発想は明治以降に生まれた。九州男児が登場する資料では古い部類ではないか」と解説する。
志學館大学(鹿児島市)の原口泉教授(75)=日本近世史=は、薩摩藩(鹿児島)出身者が大半を占めた邏卒(らそつ、明治初期の警察官)に着目する。
現在は人を怒る際に使われる「おい、こら」は、元々は「ねぇ、ちょっと」を意味する薩摩の方言で、邏卒によって全国に広まった。加えて江戸時代、当時珍しかった肉食が薩摩では盛んで、他藩出身者と比べて長身の人が多かったという。「街中で『おい、こら』と声を掛ける大柄の男。きっと怖かったはず。九州という大きなくくりで認識され、現在のイメージにつながったのかも」と推測する。
「『~男児』という言葉は、かつては九州以外にもあった」と語るのは、神奈川大学の駒走昭二教授(53)=日本語学、鹿児島市出身。19世紀末以降、日清、日露戦争の時期の雑誌には、鎌倉や奥州、東京のほか、日本、神州に「男児」が続く文言が確認できるという。「国外に出て戦う兵士を鼓舞し、勇気づける一種のアイデンティティーになった。九州男児もその一つだろう」
では、なぜ現代社会で九州男児だけ残ったのか。駒走教授は「戦後、軍国的な言葉は使われなくなっていった。九州男児という言葉のイメージは強い、豪傑、亭主関白、男尊女卑などと一長一短あるが、九州出身者はむしろ誇らしいと認識し、使い続けたことで、自然と残った可能性がある」と話した。
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