「ちゃう!」。JALが更生法を申請した日、涙目の社員を前に思い出話をすると稲盛さんの右腕が飛んできた。仏様という人は多い。私にとって閻魔大王だった
2022/12/04 11:00

稲盛和夫さん
■元日本航空会長 大西賢さん(67)
日本航空(JAL)は経営破綻し、2010年1月19日、会社更生法の適用を申請した。それ以前に申請した138社中、再上場を果たしたのは10社に満たない。誰もが難しいと考えたJAL再建を、当時の民主党政権は稲盛和夫さんに託した。稲盛さんも、その依頼を断り続けたと聞く。最終的に自ら3年の期限を設け、引き受けてくれた。
日本エアコミューター(JAC、本社・霧島市)の社長だった私は、東京に極秘で呼び出された。JAL新社長候補の「首実検」だったのだろう。何を聞かれるだろうか、どう答えようか、と準備して臨んだ。
だが、私がしゃべる機会はほぼなかった。ただ、稲盛さんが語る自らの人生や考え方を聴くだけの時間。不思議な初対面だった。イメージ通りの穏やかな人だと、この時は思った。
更生法申請の日、稲盛さんと並んで幹部社員との会議に臨んだ。社長として、過去との決別を宣言するはずだったが、目を潤ませた仲間を見ると言い出せず、つい思い出話を始めた。突然、「ちゃう!」という声とともに、稲盛さんの右腕が私の前に飛んできた。怒気の激しさに、室内は静まりかえった。
JALはつぶれた。5000億円超の債権放棄を求め、株券は紙切れとなった。生まれ変わるなら、わずかでも過去のにおいをひきずっていてはならない。それを稲盛さんは一瞬の言動で突きつけた。空気は一変。全員の表情が引き締まる。JAL再生の始まりだった。
ときどき稲盛さんは思いがけない問いを投げてきた。「今どっちの足から部屋に入ってきた? 右か、左か」。トップの振る舞いは全社員に観察されていることを意識しなさい-という忠告だ。「部下に見られてんで」。私も若い頃は上司のしぐさで機嫌を推し量ったものだ。上に立つと、それを忘れてしまう。
3年間、そんな稲盛さんを見続けた。「仏様のよう」と言う人は多いが、私にとっては閻魔(えんま)大王だった。どちらも大きな愛情を持つ稲盛さんの顔だったのだと思う。
(連載「故郷への置き土産 私の稲盛和夫伝」より)
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