薩摩焼の仁王像の下半身、美山で見つかる 江戸時代制作か 専門家「朝鮮と日本の文化を融合。一線級の資料」
2023/01/03 10:00

玉山神社で見つかった、薩摩焼でできた仁王像の下半身=日置市東市来町美山
見つかったのは、高さ約55センチ、幅約45センチの腰から足首までの下半身部分のほか、腹部や腕など体とみられる大小の破片計約40点。鹿児島国際大学の中園聡教授(58)=考古学=の研究室が、3D計測データに基づきコンピューター上で破片をつなげたところ、腹部から足首までの高さは約70センチになった。上半身と下半身を別に作り、組み合わせたと考えられる。
中園研究室による蛍光エックス線分析では、土に含まれるカリウムやカルシウムなどの含有量が江戸期の苗代川系の薩摩焼と一致。厚さは3センチ前後で内部は空洞になっており、ろくろを回した際にできる指の跡「ろくろ目」が確認できる。釉(ゆう)薬を塗っていない素焼きで、顔料で着色した可能性がある。
腰や裳(も)=下半身の服=には制作年とみられる「天保(てんぽう)十五年」(1844年)のほか「細工」など制作に携わった職人の役割、「朴」「鄭」「姜」といった朝鮮名が刻まれている。中園教授は「腕の浮き出た血管まで表現しており細工が丁寧。当時の技術を伝える文化史的な面や、文字資料としても価値がある一線級の資料だ」と語る。
「三国名勝図会」や「伊集院由緒記」によると玉山神社は、朝鮮出兵で島津義弘が連れ帰った朝鮮陶工が美山に移住した後、慶長10(1605)年に創建された。朝鮮の始祖、檀君(だんくん)が祭神で、「高麗(こうらい)神」との通称も伝わる。
美山では、藩から朝鮮名の使用や習俗の保持などが命じられていたとされる。仁王像は仏敵を払うと信じられ、寺院の入り口に安置されることが多い。玉山神社の周辺には毘沙門堂もあったという。
薩摩焼の歴史に詳しい鹿児島大学の渡辺芳郎教授(61)=考古学=は「朝鮮、日本それぞれの文化を融合させていたことが分かる。自分たちで作り、奉納することに何か意味があったのかもしれない」と話した。
像は破壊された後、長年神社境内に破片が散乱した状態だった。昨年12月に市教委に寄贈され、調査が始まった。
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