学生時代の長渕剛さん「ラブレターが得意だった」 シンガー・ソングライターの原点となった経験明かす
2023/01/05 15:00

笑顔でふるさとへの思いを語る長渕剛さん=2022年12月19日、鹿児島市の米盛病院
-どんな少年時代を過ごしたか。
「街に子どもがあふれ、汗をかいて遊んでいた。貧しい人や裕福な人、警察やヤクザなどみんなが同じフィールドで生きる仲間だった。体の不自由な人とも互いに気を遣うことなく、追いかけ合い仲良くなった」
「学生のころは文章を書くのが得意で、友達に頼まれてラブレターの内容を考えた。当時はフォークソングブーム。1960年代後半ごろに盛んだった学生運動で国のために闘う若者を見て、社会をテーマに歌うことを学んだ。これらの経験がシンガー・ソングライターの原点だ」
-被災地支援や医療従事者の激励など、社会的な活動に積極的だ。
「子どものころ親がけんかして泣いていると、おせっかいな近所のおじちゃんたちがご飯を食べさせてくれた。そんな環境で育ったからか、困っている人を見ると黙っていられない。2011年夏、東日本大震災で被災した福島県浪江町の小学生約20人を、霧島市隼人沖の無人島に招待した。始めは海を怖がっていた子どもたちが1週間で克服し、僕に抱きついてくれた。そんな体験を鹿児島の子どもたちとやりたい」
-「鹿児島貢献」を宣言した。
「具体的には決めてないが、さえないガキだった僕のように、自分に自信がない少年たちと山や海などの自然や農業に触れ合いたい。この街で生まれてよかったと胸を張れるような大人になってほしい」
「命がけで歌った04年の桜島オールナイトコンサートも一つの起点だ。『誰のために生きるのか』が生涯のテーマになった。コンサート実現に向けて汗を流した同志ともう一度集まり、鹿児島に貢献できる何かを探したい」
-新型コロナウイルスはどう影響したか。
「苦しい3年間だった。表現者としてコロナの恐怖心も絶望も歌にしようと、ほぼスタジオで過ごした。これまでもエンターテインメントの世界は社会の苦境と隣接してきた。コロナ下の困難な時こそ、勇気や希望を与えるため歌うべきだ。集客などの規制に屈せず折衷案を探すと、意外と突破口は開ける」
-2023年の抱負は。
「精力的にどんどん前に出たい。打倒コロナ。ツアーも計画している。鹿児島に帰る機会も増えると思う。みんなに喜んでもらえることをやりたい」
【略歴】ながぶち・つよし 1956年生まれ。78年にシングル「巡恋歌」で本格デビュー。2004年8月、桜島の野外会場でオールナイトコンサートを実施、全国から約7万人を集めた。被災地支援のほか、全国で詩画展を開くなど幅広い分野で活躍する。
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