オリンピック目指した高1のとき、脳梗塞で左半身が不自由に…それでも続けたバドミントンで見いだした「自分の進む道」

 2023/01/23 15:15
練習に励む浜田健一さん=鹿児島市吉野町の吉野中学校
練習に励む浜田健一さん=鹿児島市吉野町の吉野中学校
 鹿児島市の鹿児島厚生連病院の職員濵田健一さん(39)=吉野町=が、2022年12月に福岡県久留米市であった障害者のバドミントン全国大会で準優勝に輝いた。職場の理解と支援もあり、忙しい仕事の合間を縫って練習に励んだのが実を結んだ。日本一を目指していただけに悔しさものぞかせ、「次こそ優勝し、パラリンピックに出場したい」と闘志を燃やしている。

 大会は、新型コロナウイルス禍で2年ぶり。出場者の実力が分からず、不安を抱えながら臨んだ。決勝は第1ゲームを落としたが、第2ゲームを取り返した。「優勝がちらついた」第3ゲームは接戦の末に敗れた。「気が緩んだ。精神面で負けた」と振り返る。

 中学時代は県内大会でベスト4に入る実力者。インターハイ優勝を目指していた鹿児島商業高1年のとき、脳梗塞で倒れ左半身が動かなくなった。バドミントン部は辞めず、リハビリに励んだ。バランスを崩しやすいなどの運動機能障害は残ったものの、大会に出られるまでに回復した。

 高校を卒業し専門学校を経て東京で就職。8年間競技を離れた。30歳で帰郷し、現在は地元の少年団のコーチを務めながら、社会人サークルで練習に取り組む。

 障害者の大会は、車いすでプレーするイメージがあり、東京パラの広報動画を見るまで「自分が出られるとは思っていなかった」と話す。20年に初出場。競技一本の環境で挑む選手が多い中、立位カテゴリーSL4(下肢に軽い障害があるが立ってプレー可能)で3位となり、自分の進む道を見いだした。

 高校生の頃、オリンピック出場を目指していた濵田さん。「夢はかなわなかったが、パラのチャンスが巡ってきた。次の大会で優勝し、指導する子どもたちの励みになれば」。悔しさを糧にさらなる飛躍を誓う。

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