若きランナーたちよ「夢をつかめ」 63年前、15歳で3つの区間賞獲得したレジェンド礒端克明さん(ヤマダホールディングス陸上競技部総監督)がエール【鹿児島県下一周駅伝】

 2023/02/20 11:00
中継所で鹿児島チームの中学生を激励する礒端克明さん=19日、南さつま市の阿多小学校
中継所で鹿児島チームの中学生を激励する礒端克明さん=19日、南さつま市の阿多小学校
 63年前、中学校を卒業したばかりの15歳で県下一周駅伝を走った礒端克明さん(78)=ヤマダホールディングス陸上競技部総監督=が19日、特別区を走る中学生の応援に駆けつけた。この時、社会人を抑えて三つの区間賞を獲得した伝説のランナーは「駅伝を通して夢をつかんで」とエールを送った。

 「いい走りだった。全国で活躍できるように頑張れよ」。特別区中継所でゴールした鹿児島チームの永留亮佑選手(15)に声をかけた。「今の中学生は体格が良くて速い。社会人と長い距離を競わせたら面白い」

 1960年3月、第7回大会は特別に中学生の参加が認められた。鹿児島から出場した礒端さんは初日の1区10.4キロに出走。足先が破れた布製のシューズをはき、区間新記録で駆け抜けた。第3、4日も区間賞を獲得。「舗装されていない道路を先導車が走り、土煙が舞い上がる光景が記憶に残っている」

 鹿児島県出身の両親の下、中国の満州で生まれた。父は戦火、母は病で幼い頃に亡くなった。命日は分からない。「一日一日を生きるのに必死だった」。魚の行商で生計を立てる祖母と鹿児島市で暮らした。

 甲東中で駅伝部に入り、自宅から谷山電停の往復15キロを走って鍛えた。「県下一周駅伝が努力は実ると教えてくれた」。鹿児島実高、中央大、旭化成で活躍、74年の日本選手権1万メートル優勝を花道に現役を退いた。

 「目標を立てて練習と節制を続けるのが大切」と話す。今でも週2回は延岡市の自宅近くの展望台まで1200段の階段を上る。「100歳まで生きるのが目標」。快活に笑った。