「よし分かった」と稲盛さん。世界的な経営者になっても親族への感謝を忘れない。10年続いた懇親「稲盛会」、最後は100人以上が集まった
2023/02/26 11:32

稲盛和夫さん
■稲盛勝也さん(80)
10歳上の稲盛和夫さんは“はとこ”に当たる。和夫さんの祖父・七郎さんが私の祖父・市郎の弟。和夫さん一家は空襲で焼け出され、終戦前後は鹿児島市小山田町のわが家で暮らした。
当時10代前半だった和夫さんは、隣の小屋で家族と寝起きしていた。両親の畩市さん、キミさんの他に子どもも多く、窮屈だったのだろう。七郎さんは裏の崖にあった小さなトンネルの中で寝ていた。食糧事情が悪く、キミさんが着物を売り、米や食料に換えてきてくれた。両家で何でも分け合い、助け合ったそうだ。
この頃の和夫さんは、相当なやんちゃ坊。乗って遊ぶ「カットイ車」を手作りして、近くの坂道で友だちと競走していた。親が呼んでもなかなか帰ってこなかったと聞いている。
その和夫さんが大きな会社をつくり、有名な経営者になった。「小山田からこげな立派な人が出た」というのが私たちの誇りだ。
■稲盛たづ子さん(81)
1987(昭和62)年、小山田の家がもらい火事で焼けた時、既に社長になっていた和夫さんが、わざわざ見舞いに来てくれた。家までの山道は大きな車から降りて、歩いて上って来たと聞いた。
キミさんと畩市さんは、よくわが家へ遊びに来た。今も庭に祭っている古い石像に手を合わせて「和夫のひらめきは、このおかげかもしれん」と話していた。
勝也さん 平成の初めごろ、畩市さん、和夫さんと会ったときのこと。畩市さんが「和夫は1人でここまでこられたわけやない。親戚みんなに世話になったことを忘れたらいかん」と言った。和夫さんはその場で「よし分かった」と、親族の集まりを開くと約束した。
たづ子さん それが92年ごろから10年続いた親族懇親会「稲盛会」。初回は城山観光ホテル(当時)に18人が招待された。足の弱ったしゅうとめを、和夫さんがひょいと抱き上げて椅子に座らせたので、何と優しい人かと思った。2回目からはホテル京セラが会場だった。次第に参加者が増え、最後は全国から100人以上が集まった。交流も余興の準備も楽しかった。相撲取り節のため手作りした化粧まわしは大切にとってある。
勝也さん 「小山田獅子踊り」を披露した時は、和夫さんも笑顔で舞台に上がってきた。稲盛会は私たち親族の大切な思い出だ。
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