奄美に陸自駐屯地が発足し4年 大きかったのは振興への期待「有事の備えという考えはなかった」

 2023/03/01 08:30
発足して間もなく4年になる陸上自衛隊奄美駐屯地=奄美市名瀬
発足して間もなく4年になる陸上自衛隊奄美駐屯地=奄美市名瀬
 「奄美大島に陸自部隊 18年めど政府方針」。2014年5月20日付の南日本新聞1面に大きな見出しが躍った。記事には「活発な海洋活動を続ける中国をけん制する狙い」とある。

 翌21日、武田良太防衛副大臣(当時)が奄美市と瀬戸内町を訪れ、両首長に「有力な候補地」と伝えた。約2週間後、小野寺五典防衛相(同)も足を運んだ。

 8月12日、武田副大臣が両市町に陸上自衛隊の警備部隊計550人を置く計画を説明、協力を要請した。各首長は民意が反映されたとし、その場で受け入れる。

 政府方針が表面化してわずか3カ月弱。「国防の空白地帯」とされた南西諸島の態勢強化は急務だったとはいえ、複数の関係者は「通常ならこんな短期間で決まらない。周到に準備してきたのだろう」と話す。「副大臣は5月以前も奄美大島に来ていた」とも証言した。

 19年3月、両市町にそれぞれ奄美駐屯地、瀬戸内分屯地が開設された。

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 旧日本軍が拠点とした瀬戸内町は戦後、海上自衛隊奄美基地分遣隊が置かれた。1997年2月以降、他基地に物品を運ぶ特務船が除籍されるなどし、隊員数はピーク時の4分の1程度まで落ち込む。

 2004年11月、中国の原子力潜水艦が沖縄近海の領海を侵犯した。当時町議だった鎌田愛人町長らは危機感を抱き、05年12月に海自の規模拡大と陸自誘致を目指す議員の会を立ち上げる。

 有事対応を前面に掲げたが、人口や税収増など地域振興を求める声が多かったという。「安全保障の意識が希薄で、国防目的は時期尚早と理解が広がらなかった」

 07年から15年まで町長を務めた房克臣さん(70)は、11年11月の奄美南部豪雨で自衛隊の存在意義を痛感した。「加計呂麻など『離島の離島』を抱え、災害対応を真っ先に期待していた」と振り返る。

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 奄美市議会の有志が議員連盟を設立して陸自誘致に本腰を入れたのは、武田副大臣が候補地と表明した後の14年6月。瀬戸内町に比べると出遅れ感が否めなかった。

 ある市議は「防衛省はとにかく民意を求めていた。議連が動き、12団体の連名で7月下旬に要望書を出した」と説明する。そこに奄美市の名前がなく、「配備をお願いするのか、される立場になるのか。(市は)てんびんに掛けているように映った」と明かす。

 自衛隊支援団体の関係者は「国にしてみれば、早い時期からラブコールを送った瀬戸内町への配備は既定路線だったのでは」とみる。結果的に部隊が分散され「奄美市は恩恵を多く受けている。まさに“棚ぼた”だ」と指摘する。

 部隊開設から4年。ある議員は吐露する。「当時は自衛隊に来てもらって人口を増やし、経済を活性化させたい思いだった。有事の備えという考えは毛頭なかった」

(連載「盾から矛へ 安保激変@奄美」3回目より)