7000人が60人…集団避難続いた福島県双葉町、居住可能になっても住民戻らず【東日本大震災12年】
2023/03/11 08:00

入居が始まった「駅西住宅」を案内する役場職員。人影はまばらだった=2月9日、福島県双葉町
双葉駅の改札を出て屋外に出る。東口にある真新しい町役場は1階部分がガラス張り。日当たりがよさそうだ。だが、少し歩くと、障子やガラス戸が外れたままの朽ちた家屋が残る。町によると、震災前は町に7000人以上が住んでいたが、現在は約60人。高齢者が中心だという。
駅から東へ約1.5キロ。町が企業誘致に注力する産業拠点エリアには、荒れ地を挟みながら工場やホテル、観光施設が建つ。見かけるのは工事関係者が大半だ。
駅近くで診療所が2月に再開した。スーパーやコンビニはない。小、中、高校は県内の別自治体に移転したまま。甲子園にも出場し地域を盛り上げた双葉高校は、校庭の雑草が伸び放題になっていた。
伊澤史朗町長は「人が戻る保証のない中で、学校や商店の再開は難しい。まずは、戻って良かったと思える住環境、医療、福祉を整備したい」と語る。
再び駅周辺へ。昨秋入居が始まった災害公営住宅「駅西住宅」は木造で香りもわずかに漂う。住民の交流促進を意識し長屋型の各戸に縁側を設け、集会に使える屋根付きスペースもあるが、2月上旬の取材時点で入居率は半数程度だった。
縁側に鉢植えが置いてあった。一人暮らしの猪狩敬子さん(79)の部屋だ。震災後は県内外を転々としたが、町内にある夫の墓参りがしやすいと、昨年11月に戻った。「慣れた土地にまた住めてほっとしている。買い物など不便はあるけど、駅が近いので隣町まですぐ行ける」と話す。
大半の住民は避難先に家を建て、生活再建しているという。「私は例外。他の人は今さら戻っていいと言われても戻れる訳がない」とおもんぱかる。猪狩さんは「工場ができて働く人が来れば、新しい住民が増えるはず」と前を向いた。
(鹿児島の記者、フクシマを歩く)
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