太平洋戦争で軍用機を空襲から守った大型掩体壕 慶応大教授が調査「ゼロ戦なら2機、大型の一式陸攻も収まる」 保存状態は良好 鹿屋

 2023/03/11 21:00
無蓋掩体壕の広さや高さを計測する安藤弘道教授(右)=鹿屋市
無蓋掩体壕の広さや高さを計測する安藤弘道教授(右)=鹿屋市
 鹿児島県鹿屋市で太平洋戦争中に造られた大型の掩体壕(えんたいごう)を7日、慶応大学の安藤広道教授が調査した。同市の郷土史研究者らには存在を知られていたが、立ち入り禁止の国有地内にあり、人目に触れる機会は少ない戦争遺跡。安藤教授は「現存する同様の壕は九州では数少ない。保存状態は良好で貴重だ」と語った。

 掩体壕は軍用機を空襲の被害から守るための構造物。安藤教授が1945~48年に撮られた海軍鹿屋航空基地の航空写真を調べたところ、基地周辺を中心に約200基造られていたことが分かった。これらの写真と現在の地図を照合し、昨年夏から現地を調べてきた。

 その結果、5カ所で屋根のない無蓋(むがい)掩体壕と呼ばれるコの字形の土塁を確認。最も状態がいい海上自衛隊鹿屋航空基地近くの壕を、市平和学習ガイド員らと計測、撮影した。敷地を管理する防衛省熊本防衛支局職員も立ち会った。

 安藤教授によると、調査した壕は外回り縦約40メートル、横幅約50メートル、高さ約3.5メートル。「ゼロ戦など小型機なら少なくとも2機、大型の一式陸上攻撃機も収まるサイズ」と分析した。

 こうした戦争遺跡は宅地開発や農地に戻される過程で取り壊されたり、風化で消えたりすることが多い。安藤教授は「鹿屋が戦時中どんな歴史を歩んだのか知るためにも保存、公開、活用してほしい」と話した。

 同市にはコンクリート製の屋根で覆われ、小型機1基を格納した有蓋型の「川東掩体壕」が現存する。2015年に市文化財(史跡)に指定され、案内板や駐車場も整備されている。