「右脚はなくなりました」。機関銃を構えた後の記憶はない。目覚めると北京の病院に。軍隊手帳には「右大腿骨折貫通銃創」と記された〈証言 語り継ぐ戦争〉
2023/03/17 11:05

軍隊手帳を持つ古賀力男さん=阿久根市脇本
1921(大正10)年、下出水村(現阿久根市脇本)で生まれた。20歳の時に西部第63部隊に入隊。広島県福山市で2カ月間訓練を積み、機関銃手を命じられた。
訓練後、1度だけ帰省を許された。家族と再会し、折口駅から福山に戻る列車内。「もうここには帰って来られないかもしれない」。そう思うと涙が出てきた。
42年5月、朝鮮半島経由で満州国奉天市に派遣され、間もなく河北省遵化県に向かった。中国軍討伐のためだった。
行軍中、突然銃撃に襲われた。「攻撃だ」。先輩たちの声が響く。「ピューン、ピューン」。それまで銃を撃つ訓練は重ねてきたが、向かってくる弾の音を聞いたのは初めてだった。水かさがほとんどない川に、体を張り付けるように伏せ続けた。恐ろしかった。
戦闘は日に日に激しさを増した。機関銃隊の私は、歩兵を援護するのが任務。その日は「1番銃」を補佐する「2番銃」を任された。ところが、1番銃の兵が負傷し、その場に倒れた。代わりに前に立ち、銃を構えた。覚えているのはそこまでだ。
目が覚めると、病院のベッドの上だった。中国軍に撃たれ、北京に搬送されたらしい。「あんた、脚がないよ」。隣のベッドにいた男が急に話しかけてきた。「バカを言うな」と言い争いになった。
自分では脚があるのか、ないのか分からない。念のため看護師に尋ねると、思わぬ言葉が返ってきた。「右脚はなくなりました」
今も持っている軍隊手帳には、右脚に弾が貫通したことを示す「右大腿(だいたい)骨折貫通銃創」と記されている。
その時思い浮かんだのは、出征して片脚を失い、古里に帰ってきた近所の男性の姿。「一緒になったか」と感じた一方、絶望した記憶はない。当時戦地で負傷するのは珍しくなかったからだろう。後日、この戦闘で日本兵18人が亡くなったと聞いた。
42年冬には船で日本に戻り、福岡の小倉や東京の陸軍病院に入院した。鉄脚と呼ばれる義足をはめて歩行訓練を繰り返す毎日。同じように脚を失った人も多かった。「何くそ」「負けたくない」という根性で頑張った。
相撲を取り、自転車にも乗った。100メートル走では「38秒で走ったのは古賀しかいない」と褒められた。いつの間にか「古賀サーカス団」と呼ばれるようになり、慰問に訪れた友好国の外国人には見舞金をもらった。生きるのに必死だった。
43年秋、鹿児島の陸軍病院に移って数カ月後に兵役免除となり、そのまま終戦を迎えた。その後、地元で漁業に就き、80代まで船に乗り続けた。戦争になると、大きなけがを負ったり、亡くなったりするのが当たり前の光景になる。国のためと言いながら、何も知らされていない国民が悲惨な目に遭う。「戦争はしちゃいかん」と強く思う。
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