京セラ稲盛さんの奥さんの告白。「うちは、みそもしょうゆも鹿児島のもの」。京女が何十年もあんな甘いものを…、夫婦愛に感じ入った
2023/03/17 11:33

母校の前で記念撮影する渕本逸雄さん(左)と稲盛和夫さん=2014年10月、鹿児島市の鹿児島玉龍高校
■南海食品会長・渕本逸雄さん(78)
母校・鹿児島玉龍高校の同窓会長を10年間務めた。大先輩に稲盛和夫さんがいる。稲盛さんは1951(昭和26)年卒業で、私は64年。年齢は離れているが、濃密な時間を共にして、多くの思い出をいただいた。
初対面は2011年の関西鹿児島県人会総連合会。同窓会長になったばかりの私を笑顔で迎えてくれた。その後も稲盛さんが帰省するたび、城山観光ホテル(当時)での朝食会に誘ってもらい、ビジネスから人生哲学まで、多くのことを教わった。
稲盛さんは何にでも好奇心旺盛で、私に「さつま揚げは、なんでつけ揚げと呼ぶのだろう」と尋ねられたことがある。魚のすり身を油で揚げた琉球の料理「チキアーギ」が島津斉彬公のころに薩摩へ伝わり、なまって「つけ揚げ」と呼ばれた-。稲盛さんは何度もうなずきながら聞いていた。
交流が深まり、さつま揚げを何度も京都へ送った。私の会社の製品は、県外客向けに甘さを控えている。奥さんと娘さんたちには好評だったが、当の稲盛さんには、少々物足りなかったのではないかと思っている。
稲盛さんは生涯、鹿児島の味を愛していた。奥さんから「うちは、みそもしょうゆも鹿児島のもの」と聞いたことがある。京女の奥さんが鹿児島の田舎みそと甘いしょうゆを何十年も使い続けたのかと、夫婦愛に感じ入った。
稲盛さんとの最大の思い出は、14年に玉龍高で開いた講演会だ。「グラウンド整備のため重い石や土を運ばされてばかりで、いい思い出がない」とぼやいていた稲盛さんだが、後輩のためならと引き受けてくれた。当日は、私を指して「つっきゃげ(つけ揚げ)をもらったから断れんかった」と笑いを取りつつも「思いは必ず実現できる。信じて努力してほしい」と、熱を込めて語る姿が目に焼き付いている。
忘れられない言葉がもう一つある。鹿児島湾と桜島を眺めて「この景色は、絶対に守らんないかん」と言った。世界を飛び回りながら、故郷の風景を思い出すこともあったのだろうか。
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