人口7000人が居住60人になった福島県双葉町 震災に原子力災害が重なった町の現実 一方、民間と行政で新たな町づくりも動き出す

 2023/03/20 08:30
主のいない住宅で室内干しの洗濯物はつるされたままだった=7日、福島県双葉町
主のいない住宅で室内干しの洗濯物はつるされたままだった=7日、福島県双葉町
 今年の「3.11」直前、共同通信加盟社論説研究会の一員として東京電力福島第1原子力発電所が立地する福島県双葉町を取材した。

 JR双葉駅の近く。主のいない2階建て住宅。1階屋根に物干しざおが投げ出され、洗濯物が瓦に張り付く。窓越しには室内干しのピンチハンガー。住民はちょっと空けるつもりで家を後にしただろう。降り積もった12年という月日の過酷さが胸に迫った。

 改めて振り返ってみる。2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の巨大地震が発生、福島第1原発1〜3号機が緊急停止。翌朝、双葉町は「全町避難」を決定。同日午後、役場閉鎖。4月22日には原発の半径20キロ圏内が警戒区域となって立ち入りが禁止された。

 震災前、町人口は7000人余りだったが、昨夏、中心部の復興拠点が避難解除となるまで居住人口ゼロの状態が続いた。今年3月現在でも町に暮らすのは約60人にすぎない。

 故郷に帰りたくない人はいまい。でも-。さまざまな理由で躊躇(ちゅうちょ)しなくてはならない。どれほどの人が歯がみしているだろうか。震災に原子力災害が重なった町の現実だ。

 一方、新しい取り組みも始まった。行政と民間が知恵を出し合って町づくりを進めようと誕生した一般社団法人ふたばプロジェクトだ。今回の取材では双葉駅周辺のまち歩きガイドを務めてもらった。

 旧駅庁舎、町消防分団第二分団のそれぞれの壁に、2時46分で時が止まった時計が掛かる。消防分団の電動シャッターが壊れているのは、停電で開けられない戸をポンプ車が突き破って飛び出したためという。かつての「原子力明るい未来のエネルギー」の標語看板が立っていた場所や、震災被害を受けた後に再建された神社も回った。

 震災前、あの日、流れた年月、そして今。隣町の大熊町出身という26歳の案内役は、自らの幼少時の思い出も交えながら、双葉町の現在地を示してくれた。その背中に未来が見えた。 

(「東日本大震災 被災地を歩いて」より)