「若い男女が一緒に歩くとは不謹慎」。憲兵隊に銃を向けられた私と婚約者は、距離を取り無言で山を下りる。おかしな初デートだった〈証言 語り継ぐ戦争〉
2023/03/24 11:00

戦時中を振り返る吉峯睦子さん(右)幸一さん=南さつま市加世田唐仁原
旧第二高等女学校時代から日記をつけている。戦時中の日記を読み返すと、終戦の日のセミの鳴き声がよみがえる。日本中が悲しむように聞こえた。あれから80年近く、あんな大音量の鳴き声を聞いた夏は記憶にない。
1944年、18歳の時、鹿児島市の朝日通りに家があった。弟の家庭教師に母が頼んだのが、後に夫になる旧制第七高等学校の幸一(98)だ。男女が親しくできる時代ではなく、会ったり話したりすることはなかった。
女学生は海軍の軍人に憧れていた。私も「海軍さん」の妻を夢見ていた。ところが、母が「戦死するのが分かっているのにお嫁にはやれない」と幸一と引き合わせた。婚約して結納が済むと、母に「2人でどこか行きなさい」と言われた。
遊ぶ場所があるわけでもなく城山へ登った。すると、憲兵隊が「若い男女が一緒に歩くとは不謹慎」と銃を向けた。2人とも身震いして距離を取って無言で下山した。おかしな初デートだった。
幸一はその後、九州大学(福岡)に進み、海軍の委託学生として燃料所に勤務した。燃料所はすぐ燃え広がるため、米軍の標的になりやすい。ある日、250機ほどの大空襲があった。防空壕に避難できなかったが、何とか命拾いした。帰省して無事な顔を見るまでは心配でならなかった。
しばらくして幸一が家を訪ねてきて、一緒に夕食を取った。午後11時ごろ、空襲警報も鳴らないのに外が明るくなった。照明弾と気づいた時、B29の爆音が聞こえた。防空壕に避難すると、私の部屋から火が出ていた。
1人で防空壕を抜け出して座布団で消そうとした。でも、火勢にはかなわず、たちまち辺りは火の海となった。「お母さん」と叫ぼうとしても煙にむせて声も出ない。死を予感した時、手をつかんで助け出してくれた人がいた。幸一だった。
外へ出ると、街全体が燃えており逃げ場はなかった。海に飛び込めば助かるだろうとみんなで海岸まで行ったが、重油をまかれて火をつけられる恐れがあった。そのうち火が弱まり、夜が明けると、焼け野原になっていた。45年6月17日の鹿児島空襲の日のことだ。幸一は命の恩人になった。
食料がなく、父の知り合いがいる市比野に疎開したが、そこにも危険が迫ったため、さらに山奥へ移動したある日、ビラがまかれた。終戦を知らせるビラだった。「デマ」とか「毒が塗ってある」とのうわさが流れ、終戦を信じられなかった。その日、幸一が重箱を持ってトラックで迎えに来た。
塩をまぶしただけのおにぎりだったが、そのおいしさは生涯忘れられない。幸一の実家へ嫁いでいく途中、聞いたのがセミの声だ。思えば、平和の世の到来を祝う鳴き声だったかもしれない。
当時の日記に「大和魂」「負けてたまるか」との言葉がある。女学生でも戦争に勇み立つような時代を繰り返してはならない。幸一は江戸時代から続く地元の調味料メーカー丁子屋の跡取りで倒産、再建と山あり谷ありの戦後だったが、戦時中ほど苦労したことはなかった。好きな短歌をたしなめる世に感謝しつつ平和を祈る。「過ぎし日の悪夢再び 現実に 惨状つづく ウクライナの街」
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