「避難さえしていれば…」。大雨、川氾濫。胸まで水に漬かり泥だらけで帰宅 「どーん」。土砂崩れで生き埋め8時間…命と引き換えに脚切断【8.6水害30年】

 2023/06/26 07:55
稲荷川の氾濫や土砂崩れなど流域一帯は大きな被害を受けた=1993年8月12日、鹿児島市稲荷町
稲荷川の氾濫や土砂崩れなど流域一帯は大きな被害を受けた=1993年8月12日、鹿児島市稲荷町
 鹿児島県伊佐市大口宮人の須川久代さん(77)は1993年8月6日、土砂崩れに巻き込まれ、左脚の膝下から先を失った。大雨が降ると、がれきの中に8時間閉じこめられたことを思い出す。

 同日夕、鹿児島市松原町の勤務先から同市東坂元4丁目の自宅に向かう途中、大雨で街は大変なことになっていた。バイクを置き、徒歩で急いだ。

 家が近づくと稲荷川が氾濫し、胸まで水に漬かって泥まみれになった。消防団員が近くの清水中学校への避難を呼びかけていたが、足が向かなかった。汚れたままで人前に出るのが恥ずかしかったからだ。

 帰り着いたのは、勤務先を出てから2時間後の午後7時ごろ。薩摩川内市に住む娘に電話をかけようと受話器を持った瞬間だった。頭上で雷が落ちたような大きな音が聞こえた。体が宙に浮き、何が起きたのか分からなかった。

 気が付くと真っ暗闇の中に、あおむけに倒れていた。土砂崩れで生き埋めになったのだと理解した。

 近所の人の名前を死にものぐるいで何度も呼んだ。返答はなかった。何かに押しつぶされ、全く動かない左脚がきつく痛む。「このまま誰にも気付かれずに死ぬのだったら、即死がよかった」。さまざまなことが頭をよぎった。

 「きばらんね」と亡き母の声が聞こえた気がした。家族の顔が思い浮かぶ。生きてここから出ないと-。力が湧いてきた。どれほど時間が経っただろうか。名前を呼ばれる声が聞こえて大声を出すと、近所の人が気付いてくれた。助かるかもしれないと思い、涙があふれ出た。

 左脚を何度も動かし、引き抜くことができた。救助隊ががれきの中から救い出してくれた。午前3時前だった。脚を見ると、骨が出ていた。地域の消防関係者の協力でようやくたどり着いた病院は、患者でごった返し戦場のようだった。

 手術を受けたが脚は良くならず、約1カ月半後、壊死(えし)した部分が切断された。「命と引き換えの脚だった」と前を向き、リハビリに励んだ。義足をはめて、翌年2月に職場に復帰した。

 あの時、身なりを気にせずに避難していれば-。脚のある人生を想像することがある。命を一番に考え早めの避難が重要だと実感した。

 それでも片脚を失っただけで元気に過ごしていると今は思える。あの時支えてもらった多くの人への感謝は忘れない。

 ■メモ 稲荷川は、鹿児島市吉田地区に源を持つ2級河川。1993年の8・6水害では住宅や学校、商店が密集する下流域で氾濫した。稲荷町、池之上町、清水町などで約790戸が被害を受け、周辺では5人が亡くなった。同年9月3日の台風13号でも流域で浸水が相次いだ。