学童疎開船「対馬丸」の生存者 平良啓子さん死去 88歳 語り部として平和教育

 2023/07/30 20:27
平良啓子さん
平良啓子さん
 太平洋戦争中、鹿児島県十島村悪石島沖で米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の生存者で、戦後は語り部として平和教育に取り組んだ平良啓子(たいら・けいこ)さんが29日午前10時23分、大動脈解離のため、沖縄県名護市の病院で死去した。88歳。同県国頭村安波出身。自宅は同県大宜味村喜如嘉。

 1944年8月21日、家族と対馬丸に乗り、那覇港を出港した。22日深夜、悪石島沖で米潜水艦の魚雷を受けた。荒れた海に投げ出され、いかだにしがみついて漂流。6日後の28日、宇検村の無人島・枝手久島に漂着し、救助された。

 戦後、惨劇を伝えようと小学校の教師となり、在職中から全国各地で講演した。2017年に宇検村であった対馬丸慰霊碑の完成式に参列するなど奄美大島をたびたび訪れ、関係者と交流していた。

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