父と妹を襲った土砂崩れ「つかんだ手を離してしまった」 父は悔やんだが、病弱な妹自ら「離れた」のでは…30年後の今はそう思う

 2023/09/13 17:28
妹を失った8・6水害を振り返る松尾春美さん=9日、鹿児島市皆与志町
妹を失った8・6水害を振り返る松尾春美さん=9日、鹿児島市皆与志町
 〈8・6水害30年 あの日を語る〉鹿児島市皆与志町の松尾春美さん(68)は1993年の8・6水害で、2歳下の妹・かつ子さんを亡くした。36歳だった。その日は出張先の奄美大島に滞在。自宅に戻ると、変わり果てたわが家に言葉を失った。

 裏山で崩れた大量の土砂は1階の壁を突き破り、庭から外の道路まで流れ込んでいた。部屋に残されていたのは仏壇のみ。100年に1度と言われた大雨の怖さを思い知った。

 同居していたかつ子さんと父の勝美さん(享年86歳)が土砂崩れに巻き込まれた。勝美さんは家屋の一部に足を挟まれ動けなくなったが、雨が上がった夜に消防関係者や住民らに救助された。

 かつ子さんは裏山に面した部屋にいたため、土砂の直撃を受けた。翌7日、敷地内のコンクリート塀付近から遺体で見つかった。

 幼い時ポリオ(小児まひ)にかかり、ほとんどを自宅で過ごしていた。松尾さんは「あんちゃん」と呼ばれていた。仕事から帰ると、気持ちよさそうに鼻歌を口ずさむ妹の笑顔が忘れられない。

 避難先で勝美さんから当時の状況を聞かされた。「バリバリと大きな音を立てて土砂が襲ってきた。かつ子の手を1回はつかんだが、2度目の土砂崩れで手を離してしまった」と。

 通夜は集落の公民館で営まれた。松尾さんは「運命だったのかもしれないが、とてもつらかった」と言葉を絞り出す。

 市営住宅で数年暮らした後、裏山の砂防工事を経て自宅を改築した。あれから30年。集落は高齢者が増え、住民は減る一方だ。

 「災害はいつでも起こり得る。コミュニティー活動を維持し、普段から災害への危機意識を共有していかなければ」。8.6の教訓をつなぐ大切さを胸に刻む。

 8月6日。いつもと同じように仏壇に手を合わせた。もしかすると、父が妹の手を「離した」のではなく、妹が自ら「離れた」のでないだろうか。大切な家族を守るために-。今ではそうも思える。

 「いつもかつ子が見守ってくれている」。妹の分まで精いっぱい生きるつもりだ。