【米空母で拾った特攻隊員の財布を巡る物語②】半世紀を経て持ち主が見つかった。石川出身の飛行兵。アメリカの新聞は「カミカゼ・ミステリーは解決した」と報じた

 2021/09/05 11:00
日米の兵士をつなぐ物語を通して交流した伊地知南さん(右)と丸山隆さんの遺族、丸山忠嗣さん=石川県七尾市
日米の兵士をつなぐ物語を通して交流した伊地知南さん(右)と丸山隆さんの遺族、丸山忠嗣さん=石川県七尾市
 伊地知南さんの照会の手紙に対する返事は1週間後に届いた。日付は1995年8月6日。差出人は丸山隆(ゆたか)さんの、おいに当たる丸山忠範さんだった。当時52歳。石川県七尾市の丸山家を継いでいた。

 写真に写る紋付き羽織の男性、かっぽう着の女性は隆さんの両親で、忠範さんにとっては祖父母だ。手紙の中で「叔父が肌身離さず持っていたものなのでしょうか」と推測していた。「鳥肌の立つほどの感激を、戦後50年の今抑えることはできません」ともあった。

 さらに掲載年月日は定かではないが、戦後間もない頃の紙面と見られる地元紙のコピーが添えられていた。隆さんに「従六位、勲五等旭日章伝達が発令された」という記事で、家族による次のような話が載っている。

 「地元の七尾中学を特待生で卒業、海軍兵学校を卒業後、航空隊に入り、内地の基地で十九年までいた。同年暮れ、鹿児島県鹿屋基地から零戦で台湾に渡り、二十年一月五日フィリピンのリンガエン湾へ特攻隊員として出撃。輸送船に体当たりしたと聞いている」

 南さんが、4日後にしたためた手紙には「縁とは本当に不思議なもの。私も実は(忠範さんと同じ)昭和18年生まれの52歳。まかり間違えば、中国残留孤児になったかもしれない身です」の一文が見える。南さんと、忠範さんの2人は鹿児島と石川、離れてはいるが互いに相通じるものがあったようだ。はっきりした記憶はないものの、戦争を確かに体験した世代だった。

 こうして、特攻隊員の遺品を拾った海軍士官ウィルソン・バートレットさんから息子ランドルフ、レイモンドと3代にわたって引き継がれた「遺族捜し」の宿題は解決した。レイモンドさんは伊地知家の次女、希(のぞみ)さんを伴い、直後の8月末には米国へ向かった。

 4カ月後、バートレット家が暮らす米東部マサチューセッツ州ケープコッドの地元紙(95年12月24日付)を「Kamikaze mystery solved」の見出しが飾る。カミカゼ・ミステリーは解決した-。

 米国史が専門の大学教授だったランドルフさんを取材した記事だった。82年死去したウィルソンさんから聞かされてきた「カミカゼ兵士」の物語が、「地球の反対側にいた兵士の家族に半世紀を経て橋を架けた」と報じた。

 ランドルフさんは記事中、日本で英語を教える職を得た息子の赴任地が鹿児島だったこと、そこは大戦中、「カミカゼ兵士」たちが「deadly missions(死の作戦)」のために旅立った地だったと解説。教え子たちにも「偶然の連続が起こった」経緯を講義したという。

 日米が戦争したことさえ知らない世代の彼ら。戦争を教科書に書かれた出来事ではなく「real people(実際の人間)」がそこにいた個人的な歴史として受け止めたようだ、と話す。

 記事は「国に貢献するため、ただ一度の飛行で死んでいった多くの若い日本人についてもっと学びたい」というランドルフさんの言葉で締められた。

 (8月15日に掲載された記事をウェブ用に編集し、3回に分けて配信します)
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