村田兆治さん死去 引退後はハンディある離島の球児を支え、自信与えた 「甲子園も夢じゃない」大島高・大野投手はプロ野球選手へ

 2022/11/11 21:00
2013年6月、日置市で中学生らに野球を指導する村田兆治さん=チェスト小鶴ドーム
2013年6月、日置市で中学生らに野球を指導する村田兆治さん=チェスト小鶴ドーム
 プロ野球元ロッテの200勝投手、村田兆治さんが亡くなった11日、鹿児島県内でも驚きが広がった。現役時は春の鴨池キャンプでファンを楽しませ、1990年の引退後は指導や講演で度々来訪。特に離島の野球振興に力を注いだ。関係者は早すぎる死を悼んだ。

 村田さんは引退の2年後、奄美大島を訪れて少年野球教室を開いた。イベントに携わり交流が続いた龍郷町の則敏光副町長(67)は「ハンディを負う離島をサポートしたいという強い思いを感じた」と振り返る。

 熱意は形になった。2008年に始まった全国離島交流中学生野球大会(離島甲子園)だ。10、18年には種子島でも開催。伊敷中教諭の宇都口拓さん(40)は、安房中赴任時に審判や屋久島連合チームの監督として出場した。「試合後、投手に駆け寄り、1人ずつ丁寧に投球フォームを指導する姿が忘れられない。『子どもは宝だ』が口癖だった」

 村田さんは、対外試合の少ない選手に「離島でもやれる」自信を与えた。19年大会では龍郷町、奄美市の両選抜チームが4強入り。「2チームの選手が島に残れば甲子園も夢ではないよ」。外部コーチで参加した同町の朝哲也さん(50)は、村田さんにかけられた言葉をはっきり覚えている。

 夢は現実になった。両チームの選手が合流した大島高は今春の選抜甲子園大会出場を自力でつかんだ。エース大野稼頭央投手は今秋のドラフト会議でソフトバンク4位指名を受けた。

 離島甲子園は来夏、奄美大島で初開催される。則副町長は「再会して感謝を伝えたかった」と突然すぎる訃報に肩を落とした。