2018/11/17 本紙掲載 
小学1・2年の部1席

ひいじいちゃんのあったかい手

神村学園初等部2年 大嶺 優芽さん

 「あいさつを大きな声でするとね、みんながいい気もちになって、なかよくなれるよ」
 百さいのひいじいちゃんが、しわしわのあったかい手で、わたしの頭をなでながら教えてくれました。「わたし、大きな声であいさつできるよ」と、わたしはにっこりわらって言いました。ひいじいちゃんは、目のまわりをしわしわにして、「きょうだいもなかよくするんだよ。たすけあうんだよ」と、少しさびしそうに言いました。
 ひいじいちゃんは、わかいころせんそうにいきました。弟といっしょにいって、帰ってきたのは、ひいじいちゃんだけ。ばくだんがたくさんおちてきた時に、ひいじいちゃんとはなればなれになった弟は、ばくだんにあたって天国にいってしまったそうです。
 「せんそうはこわいから、にどとやっちゃいけない。じいちゃんはもう、せんそうはいやだ」
 ひいじいちゃんは、わたしの頭においたあったかくてしわしわの手を、ぶるぶるとふるわせながら言いました。
 「じゃあさ、せかい中の人が大きな声であいさつしたらいいよ」。わたしが言うと、ひいじいちゃんは、目もほっぺたもしわしわにしてわらって、頭をぐりんぐりんとなでてくれました。かみの毛はぐちゃぐちゃになったけど、ひいじいちゃんの手で、頭も心もぽっかぽかになりました。わたしは、いつもやさしくおはなしして、頭をなでてくれるじいちゃんが大すきでした。
 八月十五日しゅうせんの日に、ひいじいちゃんは天国へいきました。車いすにのったひいじいちゃんは、少しずつ目があかなくなって、すきだったおしゃべりもできなくなりました。
「じいちゃあん」
 なん回よんでも、へんじをしてくれません。手はつめたくなって、もう頭もなでてくれません。わたしはかなしくて、なみだがぽろぽろと出て、とまりませんでした。
 つぎの日のしんぶんに、しゅうせんの日に天のうへいかがおはなしをしているしゃしんがのっていました。ひいじいちゃんみたいに、まっ白なかみとしわしわの手。わたしは、ひいじいちゃんのやさしくてあったかい手を思い出して、またなみだが出ました。「せんそうはもういやだ」となんどもはなしてくれたことも思い出しました。
 わたしは、しんぶんを見ながら「じいちゃん、ぜったいにせんそうなんかしないからね。大きな声でいっぱいあいさつして、せかい中の人となかよくなるから、あんしんしてね」と、心の中でおはなしをしました。
 そうしたら、頭の上がふんわりとあったかくなりました。ひいじいちゃんが天国から手をのばして「ゆめちゃん、ありがとうね」とわたしの頭をなでてくれたような気がしました。

小学3・4年の部1席

辞書とパートナーに

鹿大付属小4年 川上 悠来さん

 サッカーワールドカップで、話題になった「半ぱない」という言葉は、はやりのわか者言葉だと思っていた。
 そこでわたしは、手元にある小学生向けの辞書で「半ぱ」を引いてみた。それには、足りなくて役に立たないこと。また、どちらもはっきりしないこと。とあった。「半ぱない」の使い方は、見当たらなかった。しかし、最新ばんの「広辞えん」には、(「半ぱではない」のしょうりゃくから)はなはだしい。ものすごい。と書いてあり、なっとくできた。
 わたしはある日の新聞記事の問いかけに、一しゅんでくぎづけになった。「国語辞典の真ん中は?」というぎ問を、今まで一度も思いうかべたことがなかったからだ。すぐに本だなのすみに追いやられていた辞書を引っぱり出して最終ページをかくにんし、その半分のページをめがけて、指先に全神けいを集中し、めくっていった。早く知りたいと高鳴る心ぞうのばくばくする音を聞きながら。そして、「成敗」という言葉にたどり着いた。わたしは、思わず黄色のけい光ペンで線を引いた。こんなに辞書を面白いと思い、めくったことがあっただろうか。
 今の時代、知りたいことは、手軽に調べられるインターネットがある。わたしもわからないキーワードがあると、辞書を引くことを面どうくさいと思い、つい親のスマートフォンでけんさくしてしまう。そのたびに母から、
「辞書を引きなさい。事典で調べなさい。」
と、注意される。
 そのような時にこの記事と出会い、国語辞典を見直すきっかけになった。さらに、その数日後には辞書作りせん門の日本語学者のテレビ番組にも出会った。一年間で四千語以上気になる新しい言葉をさい集している先生は、
「時代の流れで言葉がどんどん死んでいる。そして、ネット上でその取りしまりが今、行われている。人々が平和で楽しく使っている言葉を不用意に、ひ定してはいけない。」
と語っていた。
 「半ぱない」という言葉もネット上でけんさくすればすぐに出てくる。以前のわたしならここで完結。しかし、今のわたしはちがった。なぜなら、新しい言葉を、自分の都合のいいようにとらえて、ただネット上にまとめただけではないのかなと、ぎ問がわいてきたからだ。それに、時間をかけて、ぼう大な量の言葉をさい集してきた辞書へんさん者のことを知り、辞書でかくにんしてみたくなった。ここまで調べると、安心感と理かいして言葉を使えるという自信になるから不思議だ。
 わたしの今使っている辞書を小学校卒業までに、どれだけ黄色のけい光ペンでぬりつぶすことができるか、自分とのたたかいが、今からもう始まった。

【南日会特別賞】 小学5・6年の部1席

差別はゆるさない

田上小6年 赤池 凜音さん

 「女性差別に怒り」という見出しにおどろいた私は、夢中で記事を読んでいた。そこには、大学入試で起きた「男性優位」の不正入試問題について書かれていた。医師を目指す女性受験者の得点を減点し、合格者をよく制していたという内容だった。「なぜ、女性だけを減点するのだろう。そしてなぜそのようなことをする必要があるのだろう」と疑問をもった私が母にたずねてみると、「この記事については、何日か前からくわしく報道されていたよ。もっと前の新聞をさかのぼって読んでみたら」と、新聞をストックしてあるたなを見ながら言った。
 私はそのたなから、この記事に関連する内容の新聞を引っぱり出し、読んでみることにした。すると、医りょう現場での問題点というものが、少しずつ見えてきた。それは、今日もなお、医師の世界で課題となっているのが「男性社会」であるということだ。
 女性は、結婚、出産、子育てで、仕事をやめたり、休んだりする人が多く、その分の負担が男性医師にかかってしまうことがあることで、女性医師に対して、不利な扱いや不用意な言動がなされているという事実である。大学としても、そのようなリスクを抱える女性ではなく、働き続けることができる男性を多く確保するために、入試でこのような不正が行われていたということだった。
 将来、「医師になる」という夢を抱き、どれほどの努力をして大学受験にのぞんできたのだろうか。その夢の重さは、男女関係無いと思う。医師になるために努力する女性の気持ちを考えると、私も人事だとは思えない腹立たしさがこみ上げてきた。
 学校では、人権週間という週間が十二月にある。「一人一人を大切に」とか「男だから、女だからという差別をしてはいけない」ということを学習し、お互いを認め合いながら、「人権の木」を作成している。だが、大人の社会では、未だにこのような様々な差別が起こっていることに、悲しくも情けない気持ちになったと同時に、これからの時代を背負い、生きていく私たちがもっと差別について正しく理解し、男性も女性も平等に生きることができる世の中を作っていかなければならないと感じた。
 これから、私も将来の夢に向かい、その実現のため、努力する日々が続く。私たちが社会に出るまでに、このような差別がなくなり、働きやすい職場環境を整備してほしいと思った。このような悪しき古い考えは排除し、新しい風を取り入れていきたい。私たち自身も自分のこととしてこの問題をしっかりと受け止め、一人一人が考えていかなければならないと感じた。私は「個々の大切さ」を常に考え、「差別は絶対にしない」と心にちかった。