2020/11/21 本紙掲載 
小学4年の部1席

九州ごう雨から一か月

上場小4年 山﨑 響愛さん

  七月四日、前の日から強い雨がふり続き、家の中にいても雨つぶの落ちる音が聞こえてきていました。
「台所のドアから水が入ってきている。急いでひなんするよ」。
 お父さんの言葉におどろきました。お父さんは、ねている妹を起こし、わたしは、あわててじゅんびをすませ、すぐに外に出ました。すると、家の前の坂を、いきおいよく水が流れていました。わたしは、すべらないように一歩ずつたしかめながら、学校までの道を歩きました。たきのようにザーザーとふる雨だけでなく、強い風もふいていたので、いつもはわくわくして登校する道のりが、こわくてたまりませんでした。ようやく学校に着くと、少しほっとしました。
 この大雨で、わたしの家は、ゆか下しん水のひがいを受けました。家に帰ると、お父さんは部屋のたたみを外してかわかしたり、そう庫に入ってきた水をはき出したりして大変そうでした。家の庭で育てていたトマトやキュウリ、朝顔やヒマワリの花も雨に打たれ、元気がなくなってしまっていました。でも、お母さんが、
「みんなの命があって良かったね」。
と言いました。その言葉を聞いて、ひなんする時は、こわくてたまらなかったけれど、ぶじに家に帰って来られて良かったなと思いました。
 あれから一か月。八月五日の新聞には、土しゃくずれの起こった場所で、お父さんをなくした家族が手を合わせる写真がのっていました。この場所に何が立っていたのか分からないほどのがれきの前で、わたしと同じ年くらいの女の子も手を合わせていました。お父さんがなくなって、どれほどつらいことでしょう。もし自分だったらと思うと、言葉が見つかりません。九州を中心に広いはんいでふった長期的な大雨で、全国で八十二名の方がなくなられたそうです。鹿児島でも一人の方がなくなられました。わたしは、この記事を読んで、自分が今こうして生きていることに感しゃし、自分の命はぜっ対に大切にしないといけないと思いました。
 その後、わたしたち家族は、これから大雨がふった時、どのように行動すれば良いかを話し合いました。ひなんする時に、どの道が安全か、どこにひなんすれば良いかも、家族でかくにんしました。わたしは、毎日、新聞の天気予ほうらんを見ようと思います。そして、もし大雨がふりそうな時は早目にひなんしたいです。
 今、わたしの家はすっかり元通りになって、朝顔も元気にさいています。「自分の命は自分で守る」あの日、学んだことをわすれずに生活していきたいです。

小学5年の部1席

「ぼくへのエール」

田上小5年 中島 瑛太さん

 「まずは、自分で考えること。そして、思い切ってやってみること。ぼくの小さな一歩が、だれかの気持ちを明るくするかもしれない。」そう気付かせてくれたのは、七月八日の新聞だった。この日の新聞に起きた「二つの奇跡」は、ぼくに大きな自信と勇気をくれた。
「ああ、どうしよう。何て書けばいいのかな。」今日の宿題は、雨をテーマに詩を作ることだ。思った通りに書けばいいと分かってはいるけれど、「本当に、これでいいのかな。格好いい詩にするには、もっと工夫した方がいいのかな。」そんなことを考えていると、なかなか筆が進まない。書いては消し、書いては消しうんうん、頭を抱えていると、母が言った。
「とにかく、言葉にしてみたらいいよ。瑛太から生まれる言葉は、色や音にあふれていて、お母さんは好きだな。いっぱい悩んでいっぱい考えてごらん。そうすれば、必ず瑛太色の詩になるよ。楽しみにしているね。」「色や音か。」雨が降る日のことを想像して、頭に浮かんでくる言葉をノートに書きなぐった。何とか完成した詩を読んでみると、リズムに合わせて、色々な雨の音が聞こえてくるようだった。「よし。ぼく色の詩、完成だ。」
 コロナの休業が明け、学校は再開したけれど、ぼく達、図書委員の仕事が、一つ増えた。
「マスクを付けて入ってね。マスク、マスク。」注意ばかりしていると、正直、うんざりしてくる。いつもは、笑顔で迎えてくれる図書の先生も、注意をするのに疲れて見えた。「みんなの、どんよりした気分を、明るくできる方法はないかな。」パッと、名案が浮かんだ。
「先生、呼びかけのポスターを作ってきます。」みんなが見てくれるように、言葉だけでなく、イラストも描いた。「ぼくのポスターで、マスクを着けてくれる人が、増えるといいなあ。どうか、明るい図書室に、戻りますように。」入り口に貼ってもらったポスターを見ていると、自分まで明るい気持ちになれた気がした。
「瑛太、この前の詩、新聞に載っていたよ。」仕事から帰った母が、満面の笑みで、新聞を広げて見せた。自分でううんと考えて完成させた詩とぼくの名前が、「子供のうた」に載っていた。「瑛太色満開で賞」と、ぼくのアイディアが認められたみたいで誇らしかった。
「この記事も、見てよ。図書室のポスターを作っていた時の、瑛太みたいでしょ。」
「ビニールカーテン、アートに」というタイトルと共に、華やかな絵で彩られた市役所の飛沫防止シートの写真が載っていた。「ひと工夫することで、訪れた人の心を少しでも和ませたい。」と語る芸術家の人の言葉は、ぼくの心を熱くさせた。「自分で考え、思い切ってやってみること。その一歩が、だれかの心を、明るくするかもしれない。」二つの記事がくれた「ぼくへのエール」は、奇跡の宝物だ。

【南日会特別賞】 小学6年の部1席

頑張る姿は社会の宝

佐志小6年 三角 倖央さん

 「障害者は人間じゃないと思っている人は他にも多くいると思う。」
この記事を読んだ私の最初の感想は、「腹が立つし許せない。」というものだった。
 私の父は福祉の仕事をしている。高齢者や障がいのある人と一緒に野菜を育てている。とても大変な仕事だけど、父は楽しそうだ。そんな父を見て私も障がいのある人たちの仕事に興味をもっていた。
「倖央。お父さんと団子屋さんに行こうか。」父にさそわれて出かけた団子屋さんは、障がいのある人が働いているところだった。父から聞いていたから障がいがあることは知っていたけれど言われなければ分からないくらい一生けん命仕事をされていた。
 実は、障がいのある人が仕事をする姿に出会ったのはこれが初めてではない。去年の夏祖父母の住む種子島で驚いた出来事があった。よく行く私のお気に入りのカフェでのことだ。カフェは店員さんが、優しく、ご飯もとてもおいしい。エビフライランチがおすすめだ。お店を出た後、母が教えてくれた。
「そこのカフェで働いている店員さんは、障がいをもっている人がほとんどなんだよ。倖央気付いてたかな。」
私は、「うそでしょ。」と驚いた。なぜなら、障がいをもっているようにはまったく見えなかったし、毎年行くのに私は気付かなかったからだ。おいしい料理、きれいな盛り付け、丁寧に私たちの所まで、料理を運んできてくれる心遣い、今思い返してみても完璧だ。だから私はあのお店が大好きだった。障がいがあったら働くことは難しいと思っていた私の考えは間違っていることに気付かされた。どんな仕事でも大変だけど障がいをのりこえて立派に働いている姿を見たら、障がいがあってもなくても関係なく仕事ができることが分かった。「障がいの有る無しに関係なく、世の中の人はみんな、対等で平等な人間同士なんだ」と考えるようになった。だから障がいのある人を差別したり、がんばっている人を認めてあげられない世の中になってほしくないと心から思う。
 記事の中では「障害のある人が頼れる人がいない。」とあった。ふと、父が仕事をする姿を思い出した。障がいのある人たちを気づかい、声をかけながら散歩をしている姿だ。その時は何も感じなかったけど、周りに気を配り、ゆっくりゆっくり歩く姿はいつもの父よりもっと優しくかっこよかった。父が障がいのある人の頼りになっているんだ。「障がい者は人間じゃない。」そう思っている人たちに言いたい。障がいのあるなしは関係ない。頑張っている人はどんな人だってすごいんだ。社会の宝だ。私もあのカフェの店員さんのように、父のように社会の宝でありたいと思う。