2019/11/17 本紙掲載 
小学3・4年の部1席

ハンセン病元患者の思い

池田学園池田小3年 大迫 希楓さん

 「わたしは、今日から本名の正子に戻ります。長生きをしてきて、本当によかった。」
ハンセン病元患者、上野正子さんが言ったこの言葉が、強くわたしの心に残りました。
 夏休み前に、母の、
「夏休みに、星塚敬愛園親子りょうよう所訪問があるけど行ってみないかな。」
という提案に、わたしは、「星塚敬愛園って何だろう。」と思いました。母が、
「まずは、ハンセン病について調べてみてごらん。」
と言ったので、わたしは、ハンセン病と書かれている記事をさがしました。「ハンセン病とは、らい菌に感せんして末しょう神経とひふが冒される病気。感せん力や発病力は極めて弱い。」とありました。そして、「差別やへん見、けねん今も。」という見出しに気づき、病気にかかっただけで、なぜ差別をうけるのか知りたいと思うようになりました。
 ハンセン病に関する記事をいくつか読んでみると、ハンセン病元患者だけではなく、その家族までも差別にあっていたという悲しい歴史があることが分かりました。国を相手にしたさいばんで、元患者とその家族が勝ちました。それをうけて、安倍首相が直接、その人たちにあやまったのです。星塚敬愛園の元患者の人たちは、安倍首相があやまったことをどのように感じたのか聞いてみたいと思いました。
 星塚敬愛園は、とても広く、展示してある様々なパネルやし料、石ひなどが差別や苦しみの歴史を語っていました。現在、入所者数は百十六人、平均年れいは八十七才と高れいになってきています。わたしは、上野正子さんという九十二才の入所者と交流しました。上野さんは、沖縄県出身で、学校の先生になるのが夢だったそうです。しかし、十三才の時に父につれられて、敬愛園にただ一人で入院することになりました。家族とはなれてくらすなんて、わたしには考えられません。
 「昔は、ハンセン病はうつる病気だというまちがった考えのせいで、わたしは、強制的にここへつれて来られ、家族にめいわくがかからないように、ぎ名『すやまやえこ』と名乗らされた。熊本のさいばんで勝った時に、わたしは今日から、『上野正子』という本名に戻れると心から喜んだ。」
と、堂々と話してくれました。わたしが、聞きたかった質問をしたら、上野さんは、
「安倍首相は、すばらしい人だ。あきらめずにがんばって本当によかったと思った。」
と、答えてくれた笑顔を忘れません。
 人をまちがった考えや見た目で差別するなんて人間としてやってはいけないことだと思います。差別がなくなるように、わたしたちが後世へ伝えていくべきだと感じました。

小学5・6年の部1席

スマホ依存について

西谷山小5年 大久保 京香さん

 スマホはとても便利なものです。電話や写真などがつかえるし、いろいろな事を調べられるからです。だから私も母のスマホをときどきかりて使います。音楽を聞いたり調べ物をしたりします。指でサッとスライドするだけで自分の思っている言葉をだしてくれたり好きな音楽を聞かせてくれたりまるで魔法のようです。このような便利なスマホで子どもたちがスマホ依存になっています。私も夜ねる前にスマホを見る時があり、その日はなかなかねつけませんでした。私の年れいでもえいきょうがあるのだから、小さい子どもたちには、もっと強いしげきになっているはずです。
 お店やレストランに行った時も、小さい子どもたちが、スマホを使っている様子を見たりします。静かにしていてほしいからと、親がスマホをあたえることが多いです。スマホがない時には、どうしていたのでしょう。小さい子どもたちには、絵本を見せてあげたり、親が声をかけていたと思います。そして、お店やレストランでは、静かにしないといけないということを教えてあげたのではないでしょうか。今は、大人も子どもも、いつでも、さわっています。マナーなど、おかまいなしです。大人がこのような態度であれば、小さい子どもたちは、それが正しい事だと思い、まねをします。一番大切な、脳の発達に悪影響を及ぼすかもしれないのに。
 とても便利で役立つスマホですが、それにばかり頼っていると、何もできない子どもに育ってしまいます。自分で体験した事。体で覚えた事。失敗しても、又、やってみようと努力する。それが、かんたん便利なスマホを使っていると、何の感動する事もなく、すんでしまいます。むずかしい事も、わずかな時間でかい決すると、いつも、これを使ったら、良いのだと思ってしまいます。
 母に、
「私が小さい時、スマホが家にあったら、それで遊ばせていたかな。」
とたずねました。母は、
「あなたが、おとなしくしてくれるなら、遊ばせていたかもね。ケガをする事もなく安全だからね。」 と、言いました。私は、それが一番子どもにとって危険な事なんだと思いました。大人が小さい子どもたちがスマホを使うと脳の発達に、悪影響を及ぼすということを知らないからです。タバコは、すう人もすっている周りの人にも、害になることは世の中の人、みんなが知っている事です。スマホが、小さい子どもに与える悪影響をもっと、世の中の人が知るべきだし、メディアも発信してほしいと思いました。

【南日会特別賞】 小学5・6年の部2席

世界が大きな一つの輪に

神村学園初等部5年 谷山 友徠さん

 私は、夏休みの自由研究で、いちき串木野市のロータリー交差点(ラウンドアバウト)を調べることにした。五つの道路が、一つの大きな円状の交差点で結ばれているロータリーは、鹿児島県内に一つしかないめずらしい道路だと知ったからだ。「どうして、串木野にロータリーができたのだろう。」私は、インターネットや図書館を使って、調べてみた。そして、ロータリーが、太平洋戦争後の復興の一つとして造られたことを知った。「串木野でも戦争の被害があったのかな。」私は、祖母に話を聞いてみた。
「串木野の空しゅうで、たくさんの建物が燃えたの。串木野駅から一直線に海が見えるくらい、町には何もなくなってしまったんだよ。」私は話を聞いて、怖くなった。今、串木野駅からどんなに目をこらしても海は見えない。私の家や様々な店、学校や公園があるからだ。当たり前にある日常の全てをこわしてしまう戦争を、身近なものとして怖いと感じたはじめての瞬間だった。
 私の好きな串木野のさのさ祭りでは、ロータリーでおどったり音楽を流したりして、みんなが楽しく過ごしている。ロータリーは生活の場であり、みんなが集まるいこいの場でもある。私は「もっと戦争を知りたい。知らなきゃいけない。」と思った。
 夏休み、家族で長崎の原爆資料館へ行った。原爆投下時刻の十一時二分で止まっている時計や折り重なるように倒れて死んでいる人の写真や焼けただれた人の写真を見た。私は焼けて死んでいる人の写真を見て、怖い気持ちより悲しい気持ちの方が大きくなった。
「え、串木野の空しゅうのけむりなの。」
旅行の後、私は新聞を見て、声を上げた。長崎の原爆のきのこ雲の後ろに見える小さな黒えんが、串木野をおそった空しゅうのけむりだと分かったというのだ。長崎から百十キロメートルも離れたところから確認できるくらいの黒えん。この黒えんの下で、私が生まれ育った大好きな町が燃え、私のような子どもも大人も平和を願いながら、死んでいったのだろう。どんなに苦しかっただろう。悲しかっただろう。生きたかっただろう。
 過去は変えられない。でも、私はこの夏、少しだけ戦争を知ることができた。戦争のない平成の時代が終わり、令和が始まった。これから令和を生きていく私が、平和のためにできることを考え、行動を起こし、戦争のない平和な時代がいつまでも続くようにしたい。ロータリーを造った方たちの平和への願いを大切に引き継いで、平和の大切さを広めていこう。そして、世界中の人たちが、笑顔で手をつなぎ、ロータリーのように丸く輪になれる平和な世界をつくっていきたい。