2020/11/21 本紙掲載 
【南日会特別賞】 高校生の部1席

「ウィズコロナ」のコミュニティ

鳳凰高2年 稲田 愛子さん

 二〇二〇年、私が高校生ボランティアとして参加するはずだった鹿児島国体は延期され、地域行事はことごとく中止。学校へ通い、友達と過ごす「当たり前の学校生活」でさえ、あっさり奪っていった新型コロナウイルス感染症。どこへ行くのもマスク着用。「密」を避けるために一定の距離をとる。一年前、誰がこんな状況を予測できていただろうか。
 緊急事態宣言が出され、「自粛」を余儀なくされた三月。九州で唯一感染者が出ていないという安心感は次第に「第一号の感染者になっては大変なことになる」という奇妙な緊張感に変化していった。第一号の感染者確認の報道がされるやいなや、ネット上には憶測や中傷が書き込まれた。その後も、感染者確認の情報が流れる度に、誹謗中傷や差別があったという残念な情報があふれた。患者の命を救うために奔走している医療従事者やその家族にまで心ない差別や中傷があることを知り、将来医療に携わりたいと考えている私は愕然とした。得体の知れないウイルスへの恐怖は、人々の冷静な判断力を奪ってしまった。
 都会から帰省した人への心ない中傷や、県外ナンバーの車への差別など残念なニュースが流れることが多かった。私はコロナウイルス感染への誹謗中傷は、都市部よりもよそ者を嫌う田舎の方がひどいのだろうと思っていた。そのため、南日本新聞八月二十二日に掲載された「感染者気遣う心 与論クラスター発生一カ月 中傷、差別なく出迎え」の記事は、意外な気持ちで読んだ。人口五千人余りの与論島で感染者への誹謗中傷や差別的な扱いが大きな問題にならなかったのは、結びつきが強く、互いに配慮し気遣う土壌があったことと、ラインで感染者の名前など情報を正しく共有したことで正しく恐れサポートするムードが生まれたからではないかと書かれていた。私は、この記事を読んで与論島のコミュニティを醸成した歴史的な風土と、地域コミュニティについて調べてみようと考えた。
 十七世紀に島津藩の支配下となってから、サトウキビの年貢による過酷な搾取に苦しめられた与論島は、明治になると蘇鉄地獄と言われる飢饉に襲われた。飢饉から逃れようと島外の炭鉱へ移住した人々は、三池争議に至る差別にさらされた。戦後はアメリカの統治下、一九五三年に奄美群島が日本に返還されると、沖縄に働きに出ていた人々は「日本人」としてアメリカからの差別を受けたという。これらの苦難と差別を乗り越えるために、互いに助け合う相互扶助の精神風土ができあがったのだろう。結いの精神を大切にしている奄美群島には「水は山うかげ、人は世間うかげ」という格言があるそうだ。水は、山の木々のおかげで蓄えられ、木々があるのは水のおかげであるように、人も周りの人々の助けや支えがあってこそ暮らしができるものだ。感謝の気持ちを忘れずに人の役に立ちなさいという意味である。人と人とのつながりを大切にしてきた与論島だったから、新型コロナウイルスに感染し、島外で治療して戻ってきた人に「おかえりなさい、元気になってよかったね」という声をかけられるコミュニティが存在できたのだろうと思った。
 アメリカの社会学者マキヴァーは、コミュニティを一定の地域のうえに展開される自生的な共同生活だと定義している。広辞苑によると、コミュニティとは、一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団である。日本語では地域共同体という意味で使われることが多い。ただ同じ地域に居住しているからといって、そこに人と人の心のつながりがなければコミュニティとは言えないと私は考えている。私が種子島で過ごした三年間、地域行事や子供会でのつながりが強く、大人たちがよく声をかけてくれていた。集落の中で生活しているのだという実感があった。小学生なりにコミュニティの中にいる自分を自覚できていたように思う。今年は、友達と一緒にゆっくり過ごすことができにくくなった。私の心を豊かにしてくれる文化・芸術は感染拡大予防のため真っ先に活動を制限されてしまった。このコロナ禍で、人々は直接人とつながることができず、かなりの精神的なダメージを受け、ただでさえ希薄になりがちだったコミュニティは、つながる手段を失ったことで分断してしまったのではないだろうか。
 今、日本は新しい生活様式と共に「ウィズコロナ」の時代に入った。これから先、コロナウイルス感染以上に恐ろしい災難が襲ってこないとは限らない。こういう世の中だからこそ人と人とのつながりを大切にして、互いの理解を深めておかなければならないと思う。与論島の人々が、互いに配慮し気遣う姿を見せてくれたように、真のコミュニティを形成する新しい方法を探っていきたいと考える。