2019/11/17 本紙掲載 
高校の部1席

伝え続けるもの

国分高1年 山口 瑠星さん

 私は、この新聞記事を目にし、一目散に押し入れに向かった。確か中学校で使っていた教科書に載っていたはず。そう思い、無我夢中で押し入れの教科書を探した。
 この時、私はどうしても、作者である向田邦子の思いを、もう一度知りたい。その思いだけだった。教科書をようやく見つけ、無我夢中で「字のない葉書」を読んだ。高校生になり、久しぶりに読んだ「字のない葉書」は中学生時に読んだ最初の時とは、受ける思いが全く違った。
 戦争を風化させないため、どの学年の国語の教科書にも戦争に関する物語がある。小学生の時に読んだ「ちいちゃんのかげおくり」や「一輪の花」などの物語は、まだ戦争というものの恐ろしさを知らなかった私にとって深い衝撃を与えた。中でも、中学生の時に学習した「字のない葉書」は、四ページという短編作品ではあるものの、その中には、当時の社会状況や、登場人物と戦争との関わりなどが描かれ、戦争がどれだけ身近に存在していたのかを、痛感させられる物語であった。
 この物語は、終戦の年の四月に学童疎開した作者の文字の書けない妹と、父との葉書のやりとりを描いたエッセイである。家族の暮らしを中心に、父の人柄や、当時の社会の状況などが分かり易く描かれている。私は、この作品を初めて読んだ時の気持ちを思い出した。当時の私は、まだ戦争の悲惨さや虚しさを深くは知らない中学一年生だった。もう一度、「字のない葉書」を読んだ高校一年生の私と、初めて読んだ時の私とでは、大きな違いがあった。それは作者が「字のない葉書」の作品に込めた思いを知ったことだ。作者である向田邦子は、新聞記事の中で「変な風に反戦のメッセージを出さずに、自分たちの暮らしを書いていく。」そう言っていた。
 確かに戦争を経験していない私達にとって、当時の状況を、戦争を体験された方々に直接お聴きするという機会は、本当に少なくなってきている。実際、戦争体験者である私の大伯父も、今春、百一歳で亡くなった。戦争当時のお話を、もう本人から聞くことはできない。そう考えた時、後悔が残った。このエッセイを読んだとき、こんなにも戦争が身近にあったということを学んだ。「戦争は、絶対にしてはいけない。」その思いをわすれないこと。それは、平和を守るうえでの柱として、決して忘れてはいけない。しかし、戦争を経験していない私達は、その前に、正しく戦争を理解する努力が不可欠である。当時、人々がどのような毎日を過ごしていたのか、また、どのような被害を受けたのか。それを正しく知ることで、「戦争は、絶対にいけないもの」という言葉に、初めて説得力が加わっていくようになる。しかし、最近のニュースで、ある心無い国会議員が「北方領土を取り返すためには、戦争しかない。」という発言を行った。この発言が、平和を築くために命を尽くした方々、そして、平和な毎日を願う人々にどれだけ失望、不安、怒りを与えたのだろうか。「字のない葉書」は、戦争を体験していない私にとって、毎日、家族と温かいご飯が食べられることへの感謝をもう一度思い出させた。
 私自身、「字のない葉書」を初めて読んだとき、教科書の中のひとつの物語としてだけ捉え、作者の心情や時代背景等、深く考えずに読んでいたと思う。高校一年生になり、もう一度、読みかえしてみると、戦争が本当に身近であったことが身にしみて分かった。平和学習で、戦争について多くの事を学び、初めて、このエッセイの作者である向田邦子が反戦のメッセージをあえて込めなかったのか分かった。三年前の私と今の私との違い。それは、戦争に対する知識や思いへの質量の違いだ。もちろん、戦争体験者の方の苦しみや悲しみは、戦争を体験していない私には、理解することは難しいが、戦争について学ぶこと、そして、戦争体験者の方のお話を聞く機会を得たことで、私は、声高に「戦争は絶対に反対だ。」と言える。戦争に対し、当時の時代背景から、目をそむけず、正しい知識を学び、平和を願い続けてきた家族の愛を理解することで、「字のない葉書」の四ページに込めた、向田邦子の思いが初めて理解できた。
 戦争という非日常なものが、いかに身近であったかを、一つのエッセイが伝えてくれた。この作品は、私にとって戦争の悲しさを教えてくれた教科書だ。戦後七十年以上が経ち、少しずつ戦争の記憶が風化しつつあっても、「字のない葉書」は、多くの人々に戦争を伝えていく。私達は、戦争を体験された方が残してくださった文章やお話を通し、これから先も、戦争を伝え続ける。

【南日会特別賞】 高校の部2席

鹿児島の農産物輸出戦略

鶴丸高2年 平原 晶斗さん

 「鹿児島」と言われて、人々は何を思い浮かべるだろうか。桜島、西郷隆盛、畜産業。答えは様々だろう。では質問を変えて、「鹿児島が生産量全国一位の農産物」ならどうだろうか。よく出てくる茶は静岡に次ぐ二位、一位の品目はさつまいも、そら豆などがある。
 その生産量全国一位、薩摩の名を冠したさつまいもだが、あまり存在感が無いのは何故か。私の読んだ記事にひっそりと答えが載っていた。「大半は焼酎やでんぷん用で、青果用は全国五位となっている。」恥ずかしながら、高校生になって初めて知った事実だった。しかし確かに、芋焼酎が有名な鹿児島ならそうかも知れないと納得した。
 しかしこの記事を読んでみて、青果用さつまいもの、思いもよらぬ行き先を、私は知った。それは東南アジア諸国だ。今、タイやシンガポールなどで焼き芋が人気だというのだ。記事を要約するとこうだ。まず第一に、東南アジアで日本産のさつまいもの焼き芋が人気であり、鹿児島県産の輸出額も右肩上がりであるということ。次に、生産量は全国一位でありながら、輸出に関しては他県に遅れをとっており、今後、輸出推進に力を入れていくということだ。
 この記事から私は、二つの事柄について考えた。一つは、さつまいもの可能性についてだ。先述の通りさつまいもはでんぷん、焼酎等の加工用として利用されるが、調べてみると、焼酎に用いられるコガネセンガンや、焼き芋として人気の安納芋や鳴門金時など、多種多様な品種が存在している。その数は国内の作付品種で約六十種(農林水産省のサイトより)とも書かれており、それぞれの品種に味、色、大きさなど大きく異なる特徴がある。そこで、この記事にあるように、海外への輸出拡大を図るのであれば、その地域の人々の口に合う、あるいは調理法などの食文化に合う品種を見つける為に調査などを積極的に行えば、東南アジアにとどまらず、鹿児島の農業のストロングポイント、さつまいもを売り込んでいけるのではないかと考えた。もちろん高校生の私は商売のプロではないので、実現には様々な私の思い付かない課題もあるかも知れないが、さつまいもの「品種の多さ」は一つの有効な強みになると考える。
 二つ目に考えたことは、さつまいもに限らず、農作物の海外への輸出についてだ。現在、鹿児島県は、二〇一八年に策定した「輸出促進ビジョン」をもとに、県内の農林水産物の海外輸出を活発にする取り組みを行っている。具体的には、茶などの品目のブランド化や、統一ロゴマークの作成などだ。では、ブランド化の利点とは何か。最大の利点は「価格競争の回避」だ。現在、国際社会、とりわけ経済や産業の面で、中国の存在感が増してきている。中国の最大の強みは大量生産による商品の量と安い価格だ。農作物の場合であっても、対外輸出するのであれば、この中国と競争することとなるかも知れない。そこで対等以上に戦っていく為には、価格競争を避けたブランド化は必要不可欠だと思われる。また、統一ロゴマークについても、他県でも同様な取り組みが行われていることから分かるように、有効な売り込みの方法であると思う。
 また農作物の輸出において、鹿児島県は一つのアドバンテージを持っている。それは海外、特に東アジア、東南アジアに対する地理的近さだ。これにより輸送費の面のほか、親しみやすさや気候の面でも、他地域と差をつけることができる。
 今回の記事にあるように、東南アジアの焼き芋人気によるこのチャンスを有効に活用して、鹿児島のさつまいもを海外に大いに発信していくと共に、ここから多くのことを学んで、より多くの鹿児島の農産物が海外進出していってほしいと願う。
 新聞を読むことで、今回、自分の郷土のことについて知り、また深く考えることができた。これからも積極的に新聞を読みたいと思った。