「なぜ大島紬には白がない?」…陶芸家の素朴な疑問に奮い立った紬職人 「白泥大島」の生みの親は「現代の名工」に選ばれる

2025/11/14 14:30
現代の名工に選ばれた大島紬職人の益田勇吉さん
現代の名工に選ばれた大島紬職人の益田勇吉さん
■かお・現代の名工に選ばれた大島紬職人益田勇吉さん(ますだ・ゆうきち)さん

 大島紬の世界に飛び込んで約60年。「白泥大島」の生みの親として知られる職人が8日、「現代の名工」に選ばれた。

 故郷の喜界島を離れたくて喜界高校を卒業した3日後、島を出て名古屋市でフリーター生活を送った。そんな中、友人たちが頑張る姿を見て「俺は何をしているんだ」と奮い立った。

 「技術を身に付けなければ」。浮かんだのが、高校の美術部で培った図案の腕と紬織りの風景。鹿児島市内の大島紬工房の門戸をたたいた。

 職人の道を歩み始め、周囲から「紬をやるなら日本画と焼き物を勉強しなさい」と助言された。学ぶ過程で陶芸家の尾前喜八郎さんに「なぜ大島紬には白がないの」と聞かれたひと言が転機になったという。当時も白染めはあったが、黒染めに比べて肌触りが硬かった。

 白薩摩焼の原料にもなるカオリンから紬に向いた成分を分離する研究を始めた。県工業試験場に入り浸り、9年近くかけて軟らかく仕上がる白泥染めの技術を確立。特許も取った。

 「いい織物を、といろんな図案や色を作ってきた」。たどり着いたのは故郷の島の風景だった。「海辺や岩陰にある波の文様。あれを何とか大島紬で表現できないかとずいぶん悩んだ」。15年かけて独自の織り方を編み出し「渚絣(なぎさかすり)」と名付けた。

 「職人をやってきたのは食べるため。その中でいろんな人に出会い、ここまでやってこられた」と感謝する79歳。鹿児島市吉野1丁目の工房兼自宅に妻と暮らす。

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