東京の軍需工場で働いた。寝泊まりした寺はシラミが大量発生し下痢や血便に襲われた。栄養失調寸前で空襲があっても動く力はもはやなく、先輩が防空壕へ担いでくれた。直後に爆弾が直撃、九死に一生を得た安心感で気を失った

2024/09/30 10:00
戦争体験などをまとめた自分史を執筆中の橋元静蔵さん=いちき串木野市
戦争体験などをまとめた自分史を執筆中の橋元静蔵さん=いちき串木野市
■橋元静藏さん(80)いちき串木野市長崎町1944年(昭和19年)、串木野の照島国民学校を卒業後、家が貧しかったため14歳で東京の軍需工場に就職した。航空機部… [続きを読む]

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