ノーベル物理学賞を受賞した赤﨑勇・名城大終身教授=2012年4月、鹿児島市の南日本新聞社
1日に死去した赤﨑勇さんは、入院中も「鹿児島に帰りたい」と話すなど、最期まで生まれ故郷に思いを寄せ続けた。
家族によると、赤﨑さんは半年ほど前から肺を患い、入院していた。病室には桜島や母校の甲南高校(鹿児島市)に建立された記念碑の写真を飾って眺めていた。「もう一度、鹿児島に帰りたい」と話していたという。
鹿児島で過ごした幼少のころは、海や山へ行っては石を持ち帰って観察しており「科学者としての原点だった」と述べている。鹿児島二中時代は敬天会という学生グループで活動し、二中の同級生らとも長く交流を持ち続けた。
ノーベル物理学賞受賞後の2015年に帰郷した際は、甲南高校で記念碑の除幕式に出席し、大龍小学校(同市)の児童と交流した。鹿児島の若者に向けて「私の原点は鹿児島にある。夢を持ち、自分の可能性を信じて進んでほしい」とエールを送っていた。