76年前の6月17日にあった鹿児島大空襲の様子を伝える鹿児島市立女子興業学校の「教務日誌」(画像は一部加工してあります)
1945(昭和20)年6月17日の鹿児島大空襲で、生徒13人が犠牲となった鹿児島市立女子興業学校(現・鹿児島女子高校)の当時の「教務日誌」が見つかった。激しく燃え上がる校舎や生徒の安否確認に奔走する教職員の様子を、つぶさに記している。
A5判のノートに鉛筆で書かれ、日付は6月17日から9月29日分まで(8月9~31日はなし)。昨年6月、鹿女子高に残る旧島津氏玉里邸長屋門の歴史資料室で見つかり、市文化財課が内容を調査してきた。
被災前の学校は現在の共研公園(中央町)にあり、日誌では亡くなった生徒の火葬をはじめ、教職員の業務を主に記述。校内で生徒と取り組むサツマイモ栽培など、戦時下の日常も伝えている。
同課は「卒業生らの証言を裏付ける上でも貴重な資料。有識者に意見を聞き、詳細な分析を進めたい」としている。