調所一郎さん(右)から肖像画を受け取るホタル館の鳥浜拳大館長(中央)とトメさんの孫赤羽潤さん=2日、南九州市知覧
「僕たちは年をわずかしかもらえないから、残りはおばさんにあげる」。太平洋戦争末期、鹿児島県南九州市知覧で特攻隊の若者に慕われた鳥浜トメさんにそう言い残し、22歳で戦死した勝又勝雄大尉(出撃時は少尉)の肖像画が2日、トメさんゆかりの「ホタル館富屋食堂」に寄贈された。
絵は縦約45センチ、横約35センチの板に描かれた油彩画で、飛行服姿に人形二つを首から提げているのが印象的。裏には「出撃前 振武隊特攻隊員勝又少尉」と書かれている。霧島市の会社役員、調所一郎さん(62)が20年ほど前、鹿児島市の骨董(こっとう)店で購入したものだが、来歴ははっきりしない。
調所さんによると、横浜市に住んでいた当時、70代だった親族の女性(東京在住)に頼まれ、一緒に知覧特攻平和会館を訪ねた際、女性が勝又氏の遺影を見つけて涙を流し、学生時代の知り合いだと明かした。
翌年、来鹿した際に偶然入った骨董店でこの絵が目につき「勝又」の文字があったことから購入した。女性は2019年に92歳で亡くなるまで、事あるごとにいとおしげに眺めていたという。
調所さんは「不思議な因縁を感じる。この絵にふさわしい場所で見てほしい」とトメさんの顕彰会に寄贈を申し出た。
勝又氏は千葉県出身。1945年5月4日、知覧飛行場から沖縄へ出撃し亡くなった。富屋食堂にもよく出入りしており、トメさんと隊員とのエピソードにもたびたび登場する。
トメさんのひ孫でホタル館館長の鳥浜拳大さん(31)は「絵からは特攻隊員の人間的なところが伝わる。大事に展示していきたい」と話した。