1945年9月4日。米進駐軍は海岸から上陸した。「何をされるか分からない」…少年はやぶから隠れ見、17歳の少女は着物姿で花束を渡し歓迎した。「あの日が本当の終戦だった」 鹿屋市高須町で語り継ぐ会

2024/09/07 18:03
夫・巌さんの手記を朗読する山下ハルヨさん(中央)=4日、鹿屋市高須町
夫・巌さんの手記を朗読する山下ハルヨさん(中央)=4日、鹿屋市高須町
 鹿児島県鹿屋市高須町は終戦直後の1945(昭和20)年9月4日、米進駐軍が西日本で初めて上陸したとされる。79年目の4日、町民会館で恒例の「語り継ぐ会」が開かれた。町内会主催で、地域住民など約20人が当時の様子を語り合った。

 当時「何をされるか分からない」と避難した住民や街中を進む米兵について、写真や参考文献で振り返った。山下ハルヨさん(83)は、3年前に88歳で亡くなった夫・巌さんが生前につづった手記を朗読した。

 国民学校6年生だった巌さんは、米軍が上陸した金浜海岸を見下ろせる山に家族と身を潜めたという。接岸した船から次々と上陸するブルドーザーを見た心境や様子を「米国はすごいと思った」「鉄砲を担いだ兵隊を、震えながらやぶに隠れて見た」と記録していた。ハルヨさんは「夫の話を語り継ぎたくて初めて参加した。多くの人に聞いてもらえてよかった」と語った。

 4年前に92歳で亡くなった中原敦子さん=旧姓若松=の三女の武田久美子さん(68)も参加し、当時17歳だった敦子さんが着物姿で米兵を歓迎した話を紹介した。武田さんは「79年前の9月4日が、高須町の住民にとって本当の意味での終戦だったはず。緊張感に包まれた一日を、今後も地域で語り継いでいかなければならない」と話した。

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