後ろに見えるのは国宝の東置繭所
■「俳優・迫田孝也(鹿児島市出身)のオモ語り」=南日本新聞2024年9月8日付
先日、撮影の合間に世界遺産に行ってきました。群馬県富岡市にある富岡製糸場。2014年に“富岡製糸場と絹産業遺産群”として世界文化遺産に登録されました。明治時代に政府が西洋に追いつけ追い越せと近代化を目指した殖産興業。その中で日本三大官営工場の一つに数えられるこの富岡製糸場(他は北九州市にある八幡製鉄所、大阪市にある造幣局)を訪れるのは今回が初めてです。
なぜ私がここを訪れたのか。それは郡是製絲株式会社(のちのグンゼ)の設立に影響を与えた薩摩藩出身の前田正名〔まさな〕を演じたことがきっかけとなっています。一方通行のように文明開花が進む世の中で、海外の人材や技術とうまく融合することができた日本の養蚕業の歴史に興味を持ったからなんです。
富岡製糸場も最初は大変な苦労があったようです。政府に責任者として雇われたのはフランス人技師のポール・ブリュナ氏。仲間の技術者たちと操業準備を始めたはいいものの、全く工女さんたちが集まらなかったそうです。「あの異人たちは女の生き血をすすってるぞ」なんてうわさも立ったとか。ただフランスから持ってきた赤ワインを飲んでただけなのにね(笑)。初代工場長を務めた尾高惇忠〔おだかあつただ〕(渋沢栄一のいとこ)は自分の娘を最初の工女として勤めさせただけでなく、近隣の養蚕農家や士族の娘さんたちにも声をかけ、やっと操業にこぎつけたんですって。
そんなガイドさんの話を聴きながら巡ってみると、診療所や寄宿舎もあり当時の生活が浮かんできます。建物もほぼ当時のまま残されていて、中でも西置繭所〔おきまゆじょ〕、東置繭所、繰糸所〔そうしじょ〕の3棟は木骨レンガ造りと呼ばれる和洋折衷の建築方式で建てられ、国宝に指定されてるんですって。全く知らなかったなあ~。でもここで疑問が生まれたんです。日光東照宮や厳島神社を後世に残したい気持ちは何となく分かりますが、いわゆる一工場をここまで良い状態で残そうと思ったのはどうしてなのか。最後に所有していたのは片倉工業という会社で1987年には操業を停止しています。その後、維持するだけでも莫大〔ばくだい〕な費用がかかったはずです。残すことが目的だったのか、はたまた別の目的があったのか…。この旅はもうしばらく続きそうですがよ。