焼けた瓦片と、発見者の松元章徳さん=都城市牟田町
宮崎県都城市牟田町の天竜山攝護(しょうご)寺の本堂脇で行われている納骨堂建て替え現場の地中から、多数の焼けた瓦が見つかった。1945(昭和20)年8月6日の都城大空襲で焼失した2代目の本堂などで使われていた瓦とみられる。寺では戦後80年を迎える直前に地中から姿を現した太平洋戦争の“証人”に驚いている。
同寺職員の松元章徳さん(38)が11月下旬、1963(昭和38)年建築の納骨堂を取り壊し、重機で掘り起こした場所に大量の瓦片があるのに気付いた。松元さんは、奈良大学文学部文化財学科出身。瓦の多くが火にあぶられて赤く変色していることから、空襲で焼失した2代目本堂などに使われていたものと判断した。
「攝護寺百年史」によると、同寺は1878(明治11)年、都城島津家の米蔵屋敷跡に置かれた西本願寺都城説教所が始まり。1912(明治45)年に完成した2代目本堂は、回廊、中門を有し、間口30メートル、奥行き45メートル。「浄土真宗本願寺派の末寺中、国内随一の大建築」とうたわれた。しかし、45年8月6日午後2時ごろ、米陸軍機から投下された焼夷(しょうい)弾が本堂を直撃して周囲に燃え広がり、寺域の5分の4が灰じんと化した。
本堂は戦後の56年再建され、2020年に現在のものに建て替えられた。
松元さんは「瓦は寺を復興する過程で埋められたのだろう。戦争の惨禍を伝える証人として来年、折に触れて展示したい」と話した。