沖永良部島出身者のよりどころとなってきた神戸沖洲会館=15日、神戸市中央区
神戸市のJR灘駅近くに建つ神戸沖洲会館。沖永良部島の出身者が100年前に設立した「神戸沖洲会」(棚窪哲司会長)が1963(昭和38)年に建設した。震災の2年前に建て直された建物は、鉄筋コンクリート造3階建て。震災直後は家を失った出身者ら170人超が身を寄せ合い、生活再建や復興へのよりどころとなってきた。
95年1月16日、沖洲会は出身者の成人を祝う大阪湾クルーズを催した。和泊、知名両町長も参加し、盛会に終わった祝いの翌朝、神戸の街を地震が襲った。
犠牲になった神戸沖洲会の会員58人の中には、前日のクルーズや祝宴に出席していた元会長の伊集院虎松さん=享年(74)、音子さん=同(68)=夫妻もいた。会館近くに住む長男の善房さん(77)は「県人会でも役員を務め、虎さん、虎松っちゃんと呼ばれる人気者だった」と振り返る。
善房さんは妹から「家がつぶれた」と知らせを受けて実家に駆けつけた。中にいた2人は、助け出されたときには亡くなっていた。「検視のため、近くの寺に母を抱いて運んだときにはもう冷たくなっていた。何かできることがなかったのか、悔しい気持ちが今でも残っている」と打ち明ける。
通夜も葬儀も沖洲会館で行った。会館は避難してきた人であふれ、屋上にもテントを張っていた。当時、近くには多くの沖永良部島出身者が住んでおり「島の言葉が通用するくらいだった」が、震災で集合住宅が倒壊し、多くの人が郊外で生活を再建していった。
神戸沖洲会は、現在も島の集落ごとに35の支部がある。支部ごとの総会や敬老会、校区対抗のバレーボール大会などを行い、島の絆は健在だ。今年は設立100周年の節目を迎える。
和泊町国頭出身で元中学教諭の棚窪会長(73)は「会館は先人が大変な苦労をして残した財産。生かされた私たちが引き継いでいく責務がある。後世に残る100周年にしたい」と、11月に予定する記念式典の準備を進めている。