「流れ着いた遺体は言葉にできないほど無残だった」と話す大島安徳さん=宇検村宇検
太平洋戦争中、鹿児島県十島村悪石島沖で米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の生存者救助や遺体の埋葬に携わった大島安徳(おおしま・やすのり)さんが1日午前9時39分、老衰のため奄美市の病院で死去した。98歳。宇検村出身。葬儀・告別式は既に執り行った。喪主は長男英世(ひでよ)さん。
奄美守備隊の一員だった1944年、宇検村の船越海岸に多くの遺体が流れ着き住民総出で救助にあたった。戦後は海岸での慰霊碑建立にも尽力し、当時の様子を学校などで語り継いできた。
2016年、取材に応じた南日本新聞連載「語り継ぐ戦争」では、強い酒を飲んで黙々と埋葬作業を続けたと振り返り、「終戦後、沖縄から何度か遺族が集落を訪れ、遺骨を回収しようとしたが見つからなかった。ある遺族が『砂だけでも持ち帰りたい』とつぶやいた。心情を思うと、涙が止まらなかった」と語っている。