大小路側(奥)と向田側を結ぶ6代目太平橋=薩摩川内市向田本町
鹿児島県薩摩川内市の川内川に架かる「太平橋」は1月、最初の架橋から150年を迎えた。6代目となる現在の橋は大動脈の国道3号の一部として、向田と大小路の両地域を結び人々の生活を支えている。
太平橋の名前の由来とされる近くの「泰平寺」の住職・羽坂光昭さん(60)によると、初代の橋は同市出身の大工・阿蘇鉄矢の指揮で、1875(明治8)年に完成した。長さ約200メートルで、工期はわずか2カ月半だった。橋のたもとに立つ石碑「太平橋記」には、完成前は船で渡るしかなかったことや、両岸は渡りたい人があふれて川に落ちる人もいたと記されている。
西南戦争により、2年余り後の77年に中央部分が焼失した。石碑には「太平」の文字をわずかによけるように、当時の銃弾の跡が残っている。
損傷を補って造られた2代目の詳細は不明だが、洪水で流されたとされる。3代目は向田と大小路の住民2人の共同出資による私設で、通行料が必要だった。89年に国が買収し、国道となった。
モダンなアーチ型が特徴的で「川内のシンボル」とされたのが4代目。元々はイギリスのテムズ川用として造られたものの架けられず、日本に来たという。初の鉄製で、約50年間使われた。市内の可愛小学校には今も、橋の入り口にあった親柱2本と橋の名前が書かれた看板が残る。
1951年に鉄筋コンクリート製の5代目が完成。現在の6代目は79年から使用する。長さは初代とさほど変わらないが、幅は3倍以上の21.5メートルある。
市街地を川内川が横断する薩摩川内で、人々の暮らしに溶け込んでいる太平橋。羽坂さんは「街の心臓のような場所で、太平橋がなければ川内は全然違う場所になっていただろう。若い世代が橋の歴史を知り、どういう街にしていくか前向きに考えてもらいたい」と話した。