避難の途中、立ち寄ったコンビニ…迅速な行動を阻んだ「慣れ」、店裏の防潮堤の向こうには〝黒い渦〟が迫っていた #知り続ける

2025/03/11 07:03
東日本大震災で避難途中の母子が津波に遭ったコンビニエンスストア。その後、店の裏の防潮堤がかさ上げされた=5日、岩手県宮古市金浜
東日本大震災で避難途中の母子が津波に遭ったコンビニエンスストア。その後、店の裏の防潮堤がかさ上げされた=5日、岩手県宮古市金浜
 東日本大震災の発生から14年がたった。復興と人口減少が進む岩手県三陸地方で、地域社会の変化を追い、鹿児島の教訓となる事例を探った。(連載「復興の現在地から鹿児島への教訓」㊤より)

 本州の最東端、岩手県中部の宮古市は、2011年に発生した東日本大震災で517人の死者・行方不明者を出した。沿岸には、津波に備えて新たに造られた防潮堤がそびえ、中心部を流れる閉伊川の河口で巨大な水門の建設が進む。過去に幾度も津波に襲われた地域だが、千年に一度といわれる14年前の津波は、市民の防災意識の想定を超え、多くの命を奪った。

 宮古湾の最奥部にある同市南部の金浜地区。幹線道路沿いにあるコンビニエンスストアでは、避難途中で立ち寄った母子が津波に遭い、母親が犠牲になった。

 「津波が迫っているのになぜコンビニに-」。非難する声もあるが、元宮古市社会福祉協議会事務局長で、犠牲者の妹と同僚だった葛浩史さん(61)は「避難生活に備えて水や食料を買うために立ち寄ったのだろう。防潮堤に遮られて海は全く見えない。津波が迫っているのがわからなかったはずだ」と思いやる。

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 宮古市では、昭和三陸津波(1933年3月3日)など過去に津波が襲った日に避難訓練を行ってきた。リアス式海岸は海岸から高台が近く、歩いても避難は可能だ。だが、震災1年前のチリ地震による津波、津波注意報が出た2日前の前震、そして3月11日の発災当日も、多くの市民の避難行動は鈍かった。2日前の地震で店を閉めたコンビニには苦情がきたという。

 市危機管理課の山崎正幸課長は「千年に一度の津波の前に、小さな津波を何度も経験し、慣れてしまっていた。当日は地震から津波まで30分もあったのに、ぎりぎりまで半分も避難しなかった」と市民の行動の遅れを悔やむ。「ぎりぎりにならないと逃げないという心理が、私たちの敵だ」

 同市赤前地区の工場に勤めていた佐々木恵理子さん(57)=山田町大沢=も津波を見るまでは心に余裕があったという。「地震の後、みんなで歩いて避難した。地割れはあったが、それでもまだ笑い顔が見えた。避難場所に着いてから、黒い渦を巻いた津波が見えて怖くなった」と振り返る。

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 鹿児島でも昨年8月、日向灘を震源とする地震で南海トラフ地震の臨時情報が発表され、津波への警戒が強まっている。

 鹿児島大学の岩船昌起教授=災害地理学=は故郷の宮古市で、津波到達時の避難行動を一人一人から聞き取る調査を続けている。とっさの行動が窮地を救った例や、十分な体力があったから助かったケースがあり、各事例で適切な避難行動を分析する。

 高い所にある家にとどまれば助かったはずなのに、低い避難経路上で被災することもある。岩船教授は「それぞれが自分の置かれた状況を理解し、気象庁が出す情報の意味を正しく把握することが重要だ」と呼びかける。

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