避難所、仮設、復興住宅…再建が進むたびに変わる〝お隣さん〟 地域の絆…再生は道半ば #知り続ける

2025/03/12 07:03
災害復興住宅の集会所で懇談する長谷川牧子さん(左)ら=5日、岩手県宮古市
災害復興住宅の集会所で懇談する長谷川牧子さん(左)ら=5日、岩手県宮古市
 東日本大震災の発生から14年がたった。復興と人口減少が進む岩手県三陸地方で、地域社会の変化を追い、鹿児島の教訓となる事例を探った。(連載「復興の現在地から鹿児島への教訓」㊥より)



 「宮古にはあまり雪が降らないが、震災の日も雪だった。ただただ寒かった」

 岩手県宮古市の災害公営住宅で暮らす長谷川牧子さん(80)は5日、久しぶりの雪を見ながら思い返した。震災前は住宅からほど近い街の通りで食品店を営み、要介護者の叔母と同居していた。

 海に近く、当日は向かいの病院に逃げ込んで津波から難を逃れた。すぐ近くでは火事が起き、火の粉が飛んできた。3日目にようやく、車いすの叔母と小学校の避難所に移った。

 水の出ない学校のトイレと体育館での雑魚寝は叔母にはきつかった。盛岡市の施設に預かってもらい、長谷川さんは避難所や仮設住宅を転々とした。復興住宅の抽選になかなか当たらず、仮設住宅の集約に合わせて住む場所が変わった。

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 家を失った被災者の大半は、避難所、仮設住宅、復興住宅へと生活の場を移していく。

 避難所では地域コミュニティーが維持されたが、仮設住宅にはさまざまな人が入居した。宮古市社会福祉協議会で当時事務局長だった葛浩史さん(62)は「異なる地域から来た人同士が主導権争いをしたり、周囲に協力しない人がいたりしてトラブルになった」と振り返る。

 葛さんは、仮設住宅の集会所の鍵を代表者が管理する仕組みに着目。市から鍵を預かり、仮設住宅ごとの自治会発足を促した。代表者が決まらなければ、鍵も外部からの支援も届かない。集会所があった54カ所すべてに自治会はできた。

 さらに、職を失った被災者を生活支援員として雇用し、集会所に常駐させた。支援員は、集会所での交流イベントやボランティア団体の受け入れを担った。困りごとや悩みを聞く生活支援相談員も仮設住宅を巡回し、支援員と連携した。

 ただし、仮設住宅で作った仕組みは移行期のもの。生活再建にめどが立った人や復興住宅の抽選に当たった人は順次退去した。「境遇の違いからあつれきを生まないよう、周りには何も言わずに出て行く人が多かった」と市社協の渡部玲子地域福祉課長は話す。

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 仮設住宅では、社協が自治会と既存の地元町内会との交流を促し、つなぎ役となっていた。入居者が抽選で決まる復興住宅になると、人間関係の構築は一からまたやり直しになった。

 長谷川さんが住む市営本町住宅は便利な街中にあり高齢者を中心に34世帯が入居する。長谷川さんが世話役の管理人を務めるが、大所帯であることを理由に町内会加入は断られた。

 震災前に住んでいた場所も近いものの、「近所付き合いしていた人はバラバラになった」という。今は、他の入居者と集会所でラジオ体操に励むのが日課になっている。

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