「ワインがあったから移り住んだ」…福島原発事故で全村避難した村は、若者の定住・移住の「核」にワイナリー事業を据える 一方で子育て世代は戻りが鈍い課題も

2025/03/16 17:30
ブドウ畑の前でかわうちワインを手にする安達貴さん(左)と遠藤一美さん=2月、福島県川内村のかわうちワイナリー
ブドウ畑の前でかわうちワインを手にする安達貴さん(左)と遠藤一美さん=2月、福島県川内村のかわうちワイナリー
 東京電力福島第1原発事故から14年。事故直後に全村避難を経験した福島県川内村(人口2219人・3月1日現在)は、周辺自治体に先駆けて帰還を呼びかけ、ふるさとの復興に力を注いできた。今も2割が避難先での生活を余儀なくされ、急速な人口減少や高齢化に直面する村で、ワイン造りが新たな産業として希望をつないでいる。2月上旬、日本記者クラブ取材団の一人として訪ねた。

 村北西部の丘陵地に建つ醸造所「かわうちワイナリー」。眼前には阿武隈高地の山々と約4.5ヘクタールのブドウ畑。原発事故の影響で使われなくなった酪農用の牧草地を活用している。「水はけがよく、日当たりのいい南向きの斜面がブドウ栽培に適していた」。村職員で、かわうちワイン統括マネージャーの遠藤一美さん(48)が教えてくれた。

 挑戦は2014年から。復興に向けたアイデアとしてワイン造りが持ち上がり、地質調査などを経て16年に本格的にワイン用ブドウの栽培を始めた。試行錯誤を経て徐々に収量を確保できるようになり、21年に醸造を開始。22年産は13銘柄約1万1000本を販売した。

 主に首都圏でのPRに力を入れ、ネット販売やふるさと納税でも展開する。特に村産ブドウだけで造ったシャルドネは、華やかな香りと切れのいい味わいが人気で、売り切れも出るほど。今後、年間2万本を安定生産できる体制を目指す。

 ワイン造りをけん引してきたのが、ブドウ栽培や醸造の責任者を務める安達貴さん(38)。東京農業大学で醸造を学び、山梨や青森のワイナリー運営に携わった経験を買われ、20年に娘とともに東京から移り住んだ。「ワインがあったからこそ、川内村に住むことになった。ワイン文化で村を盛り上げられたら」と話す。

 村の震災当時の人口は3028人。避難先から戻った住民の帰還率は約8割と周辺自治体に比べ高い。一方で、戻りが鈍いのが子育て世代だ。遠藤さんも、障害のある子どもの教育施設がないことなどの理由で、隣の田村市から通う。「子どもが学校に通い始めると転校が難しく、戻りたくても戻れない人は多い。震災で少子化が10年早く進んでしまった」と打ち明ける。

 若者の定住・移住を呼び込むには、雇用確保や交流人口の増加が欠かせない。遠藤さんは、ワイナリー事業がその一つの核になり得ると考える。「ここで仕事をしてみたいと思えるような魅力ある場所にしたい。まずはワインコンクールで入賞しブランド価値を高め、もっと多くの人に川内村を知ってもらいたい」

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