見渡す限り茶畑が広がる鹿児島県内一のお茶どころ=20日、南九州市知覧町西元
鹿児島県は2024年産の荒茶生産量で初の日本一になった。戦後に生産を拡大した後発産地ながら、官民一体となって先進的な取り組みを進め、ニーズに柔軟に応えてきた。県内茶業界の歩みを振り返り、現状と課題を探る。(連載「かごしま茶産地日本一~これまで/これから」①より)
2月下旬、鹿児島市で開かれた県茶業振興大会。「ついに悲願の日本一を達成した。訪日客需要や輸出が拡大し、鹿児島の産地が果たす役割はますます大きくなる」。集まった生産者ら約300人を前に、県茶業会議所の坂元修一郎副会頭(69)は力を込めた。
大会3日前に発表された24年産の県内荒茶生産量は前年比3%増の2万7000トン。トップに君臨し続けた静岡県の2万5800トンを抜き、初めて1位になった。
統計が始まった1959年の生産量は静岡の4万7918トンに対し、わずか2693トンしかなかった。「安かろう悪かろう」と言われた時代を経て、量と質を追い求めてきた。
■先人の努力
「先輩たちが稼ぎどころの一番茶を諦めてまで静岡に研修に行き、技術を持ち帰ってきたからこそ今がある」。71年発足の知覧銘茶研究会の立ち上げメンバーで、2代目会長を務めた後藤正義さん(82)=南九州市=は目頭を押さえた。
南九州市は市町村別で日本一の生産量を誇り、今でこそ知覧茶は鹿児島を代表するブランドになっている。だが、当時は全国的には無名に等しかった。
「品質を認めてもらうためには全国茶品評会で最高賞をとる必要があった」と後藤さん。研究会メンバーは72年、一番茶の最盛期に工場を止めて品評会の上位入賞常連だった静岡県の旧中川根町の産地を訪ねた。
夜行列車で片道2日かけて山奥の茶園にたどり着いても茶葉や機械に触れることは許されず、目で見て、茶葉の蒸し方やもみ具合を頭にたたき込んだ。
研修は実を結び、この年の品評会で入賞した。翌年以降も研修を重ね、74年には農林大臣賞(当時)と産地賞を受賞。75、76年と3年連続で大臣賞という前例のない快挙を成し遂げ、知覧茶の名を高めるとともに鹿児島茶の品質向上を印象づけた。
■伸び率
平成に入り静岡が急速に面積を減らしていく中でも、鹿児島は勢いを増していった。
特筆すべきはJAあおぞらの子会社、いろは農園有明(志布志市)の茶園育成受委託事業。96年に始まった同JAの事業を引き継ぎ、後継者のいない高齢農家から畑や遊休農地を預かって茶を植えた。茶園化した面積は140ヘクタール超、全国でも突出する規模だった。
元営農指導員で社長を務めた永田武人さん(73)は「地域の核となる茶工場に相談し農地のあっせんもした。ピークの2007年前後には80ヘクタール増と旧有明町の伸び率は日本一だった」と話す。
これらの取り組みは志布志市が県内2位の茶産地に飛躍する原動力ともなり、08年度の全国農業コンクールで農林水産大臣賞を受賞した。今日に至るまでの道のりを、永田さんは「機械による効率化が鍵となった」と振り返った。