眼窩貫く木の根、歯が残った鉄かぶと姿…「ここが父が守っていた壕か」 遺骨収集の硫黄島訪問続け45年、次は初めて孫と上陸する

2025/04/16 15:03
撮影した写真を手に、遺骨収集を振り返る野瀬純弘さん=いちき串木野市金山下
撮影した写真を手に、遺骨収集を振り返る野瀬純弘さん=いちき串木野市金山下
 戦後80年の「慰霊の旅」最初の訪問地として、天皇、皇后両陛下は太平洋戦争の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)を7日訪れ、戦没者を追悼された。「歩兵第145連隊」をはじめ、島では多くの鹿児島県出身者が命を落とした。県内の戦没者遺児は両陛下の訪問について、「あらためて悲惨な戦いの歴史が国民に伝わった。戦争が二度と起きないように語り継ぐ契機となってほしい」と願う。

 いちき串木野市の野瀬純弘さん(81)は1歳の時、父長次郎さん(享年29歳)を硫黄島で失った。「亡くなった場所を自分の目で確認したい」と父親の最期を知る生還者に誘われ、1979年に初めて島に入った。

 歩兵第145連隊の生還者ら一行13人で小笠原諸島の父島から漁船で島に渡った。父親が守っていた壕(ごう)を生還者が覚えており、そこに寝泊まりした。以来、年1~2回、計40回近く島を訪れ、遺骨を集めている。地熱にさらされて奥に進めず、近くに見えているのに収集できないこともあった。「一人でも多くの遺骨を持ち帰る。その一心」と通い続けた。

 野瀬さんは遺族らでつくる「硫黄島協会鹿児島県支部」の支部長を生還者から引き継ぎ、30年以上務めた。車の免許を昨年返納し、支部長を退いた。

 毎年3月に鹿児島市で開いてきた慰霊祭を今年は見送った。「伝え続けないといけないが、子どもたちに無理は言えない」と活動の継承に苦悩する。

 枕崎市遺族会会長の桑原茂樹さん(80)の父長谷太吉さんは歩兵第145連隊の中隊長で、1945年3月に28歳で亡くなった。

 桑原さんは今も収集に参加する。1月末に訪れた際も、約2週間で30を超える遺骨を見つけた。鉄かぶとをかぶりきれいに歯が残っていたり木の根が眼窩(がんか)を貫いていたり。見つけると思わず「どちらさんですか」と語りかける。

 天皇陛下が硫黄島を訪れたことで「国民の心の片隅に島の歴史が刻まれ、平和につながる」と考えている。次は初めて大学生の孫と島を訪れるつもりだ。

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