慰霊の言葉をかける太田尚樹・東海大学名誉教授=21日、阿久根市折口
鹿児島県阿久根市脇本の海に旧日本海軍の戦闘機「紫電改」が不時着してから80年となった21日、搭乗していた林喜重(よししげ)大尉(戦死後少佐に昇進)の慰霊祭が海岸近くの慰霊碑であった。機体の引き揚げを目指す市民団体が初めて命日に開き、約30人が冥福を祈った。
同機は1945(昭和20)年4月21日、海軍第一国分基地(霧島市)を飛び立ち、出水上空でB29編隊と交戦して不時着。地元住民が救助に向かったが、林大尉は既に絶命していた。海岸近くに慰霊碑が建てられ、海軍航空隊の関係者らが集まることもあったが最近は途絶えていた。
慰霊祭を開いたのは出水地域の住民らでつくる「紫電改・林大尉機を引き揚げる会」(肥本英輔代表)。出席者は慰霊碑へ玉串をささげた。林大尉が通っていた旧制湘南中学校(現湘南高校)の後輩に当たる太田尚樹・東海大学名誉教授(84)=神奈川県藤沢市=も参列。「負けず嫌いだが優しい人だったと聞いている。永遠に忘れてはならない」としのんだ。
肥本代表は機体の引き揚げについて「資金調達や安全面など、さまざまな課題があるがクリアしなければならない」と改めて意欲を見せた。
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紫電改・林大尉機を引き揚げる会は18、19日、阿久根市沖で潜水調査を実施。紫電改の特徴である2連式の20ミリ機銃とみられる物体を左翼に確認したとして、写真を公表した。
18日は水中文化遺産カメラマンの山本遊児さん(福岡県那珂川市)らが両翼や機銃のような残骸を見つけた。19日は東海大学(静岡市)の木村淳准教授=水中考古学=が加わり、金属探知機で探索。木村准教授によると、操縦席やエンジンを含むとみられる機体本体が長さ5メートル、幅1.5メートルほどあった。尾翼など機体後部は確認できなかった。翼の長さは左5.2メートル、右5.4メートル。操縦席を中心に直径15メートルの範囲を調べた。