日本は「おひとりさま」時代、「孤独死」を「在宅ひとり死」と呼ぶ上野千鶴子さんが考える「自分らしい最期」とは

2025/05/08 07:01
介護保険の現状について話す上野千鶴子さん=鹿児島市の中央公民館
介護保険の現状について話す上野千鶴子さん=鹿児島市の中央公民館
 高齢者の介護とケアやジェンダーなどを研究する社会学者、上野千鶴子さん(76)が4月中旬、鹿児島市の中央公民館で公開講座を開いた。「自分らしく生きて死ぬために」と題し、高齢者を取り巻く課題や、介護保険制度の現状について語った。要旨を紹介する。

 最近「おひとりさま」が増えている。国勢調査で1980年に最も多かった世帯は「夫婦と子ども」だったが、2020年は「単独」となり、世帯構造が大きく変わった。人生100年時代を迎え、これからの高齢者は独居や家族を持たない人、家族がいても頼らない、頼れない、頼りたくない人が増えるだろう。昔ほど、独居高齢者に対する偏見もなくなってきている。

 「最期まで自分らしく」とは何か。自分らしさとは、家族や共同体から死を個人化することだ。死に方を自分で決めなければならない。高齢者のうち「最期まで家にいたい」と考えるのは5割。3割は「できれば家にいたいが、病院か施設で」と答える。

 15年に特別養護老人ホームへの入居要件が「要介護3以上」に変わった。同時に医療・介護一括法が施行され、在宅医療や在宅みとりへの考えが広がった。

 私は、自宅で一人で亡くなるのを「孤独死」でなく「在宅ひとり死」と呼びたい。この選択は、親戚など外部から介入のない人の方がやりやすい。日本では、本人よりも家族の意思が優先される傾向があるからだ。「一人で逝かせない」とこだわりを持つのは残された側。だから別れと感謝は、相手が正気のうちに伝えておけばよい。

 意思決定において大事なのは、生き方や死に方を決めるACP(アドバンス・ケア・プランニング)とされる。しかし、自分が健康な時に書いた意思を信じていいのか。

 人は変わり、迷うもの。私の父も亡くなる前、ある日は早く死にたい、ある日はリハビリ病院に移りたいなど、気持ちのアップダウンを繰り返した。この経験から、死ぬ人の迷いに翻弄(ほんろう)されるのが家族の役目であり、最期まで迷い抜けばよいと学んだ。

 在宅みとりは介護保険がなければ成り立たない。00年4月に施行された介護保険法は、ケアの社会化の第一歩だった。この四半世紀で介護現場の経験値とスキルが上がり、人材が育った。日本が生んだ財産といえる。

 しかし今、介護保険は危機にあるといえる。政府は負担の増加と給付の抑制を考えている。ここ数次の改定期に、対象者が要介護3以上になり、負担額が原則1割から2割となる改悪案が提出された。しかし反対意見が多く、結論は先送りされた。次回改定の27年までには同じ改悪案が再び登場するだろう。

 保険は共済事業であり、リスクと負担の分配だ。1997年の成立からおよそ30年たち、日本は自己責任の格差社会になった。今なら国会で成立しなかったのではと思う。若い人には「介護保険のおかげで親を一人で置いておける。いずれは自分が要介護になる。その時のために介護保険制度を守って」と伝えている。

 どんな人でも終わりはくる。人生に終わりがあるのは素晴らしい。この25年、介護保険と向き合ってきた私自身の成果は「どんな死に方でもあり」と、覚悟が決まったことだ。

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