日本復帰から53年たっても変わらぬ重荷…沖縄で今なお続く理不尽、隣県に住む関係者は願う「せめて子や孫に安心を」

2025/05/16 06:00
高校まで過ごした沖縄の思い出を語る湧川律子さん=15日、鹿児島市山下町
高校まで過ごした沖縄の思い出を語る湧川律子さん=15日、鹿児島市山下町
 沖縄県は15日、1972年の日本復帰から53年を迎えた。米国から返還され半世紀以上たったが、今なお米軍基地が集中し重い負担は続く。奄美も含めた南西諸島で国による防衛力強化も進む中、鹿児島県内の関係者からは「戦後80年を機に理不尽な状況を見つめ直す必要がある」「再び戦争が起きないようにしてほしい」との声が上がる。

 「今も米軍はやりたい放題」と話すのは、瀬戸内町出身で沖縄県浦添市に住む男性(72)。自宅は米軍普天間飛行場(宜野湾市)から数キロで、騒音に悩まされる日々が続く。相次ぐ米兵の性暴力事件にも触れ、「基地をなくすのは難しいが、せめて子や孫が安心して暮らせるようになってほしい」と訴える。

 鹿児島市の鹿児島国際大学に通う男子学生2人は宜野座村出身。高校まで過ごした沖縄では本土復帰記念日をはじめ戦争について考える機会が多かった。一方でイベントなどを通じ米軍は身近な存在だったという。国外で紛争が相次ぐ中、「再び戦争が起きないよう政府にはしっかりと考えてほしい」と話す。

 那覇市出身の湧川律子さん(70)は、15年前から鹿児島市で沖縄料理店を営む。西之表市の馬毛島での基地建設などに触れ、「国を守ることは大事だが、戦争が起きることにつながらないか」と懸念する。

 戦後に沖縄と同様に米軍の支配下に置かれた奄美群島が日本に復帰したのは53年。沖縄が復帰するまでの約20年間は鹿児島と沖縄の間には“国境”があった。沖縄との交流に力を入れる与論郷土研究会会長の麓才良さん(77)=与論町=は「沖縄では理不尽な状況が続く。沖縄だけの問題とせず若い人にも歴史を知ってもらい、みんなで平和について考えていくことが大切だ」と話した。

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