赤字路線バスの廃止意向について説明する岩崎グループの岩崎芳太郎社長(左)=2006年4月、鹿児島市
鹿児島県内の路線バス事業者が苦境にあえいでいる。「ドル箱路線」で稼ぎ、地方の赤字路線をカバーする経営モデルは2000年代初めの規制緩和で崩壊。利用低迷が続く中、運転手不足対策、車体更新、サービス向上と取り組むべき課題は少なくない。公共交通機関としての在り方を模索する事業者の本音や苦悩を紹介する。(連載かごしま地域交通 第3部「事業者の苦悩」④より)
鹿児島と福岡を結ぶ高速乗り合いバス「桜島号」は1990年、スタートした。鹿児島交通、南国交通を含む4社(現在5社)が共同運行し、所要時間はJR特急よりやや長い4時間半ほど。片道最安3000円台からの運賃を売りに最盛期は1日24往復した。
2011年に九州新幹線が全線開業し、博多まで1時間半で行けるようになってからも、手軽な移動手段として重宝されてきた。
鹿児島市内-鹿児島空港間の連絡バスと同じように“ドル箱路線”とされてきたが、現在は13往復に半減した。新型コロナウイルス下で離れた利用客がなかなか戻らない、というだけが理由ではない。貸し切りバス事業者の台頭が大きいと関係者は指摘する。
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バス利用が低迷し、採算路線の利益で不採算路線の赤字を補う「内部補助」の効果が薄くなった1990年代。国は需給調整のためとして免許制度で守ってきた業界を規制緩和の方向に転換させた。
新自由主義経済を背景に市場原理を働かせ、事業者のコスト削減やサービス向上を図る狙いがあった。最初の改革は2000年。貸し切りバスの規制が緩和され、事業者の参入と退出が容易になった。続く02年の乗り合い(路線)バスの規制緩和では事業参入・路線新設が免許制から許可制に、退出・路線廃止は事前届出制に変更された。
県内では路線バスの新規参入はなかった。代わりに貸し切り事業者の参入が相次ぎ、県外への高速ツアーバスが登場した。高速乗り合いバスは道路運送法に基づき、停留所設置や定時運行と厳しい縛りがある一方、貸し切りバスは旅行業法に基づく企画旅行商品。行政の介入が少ないため参入ハードルは低かった(13年からは貸し切りバスも乗り合い運行の許可が必要)。
鹿児島運輸支局によると、規制緩和前の1995年度末に49社だった貸し切り事業者は、2005年度末には89社に伸びた。企業や学校行事での団体移動の需要も、価格の低い新規事業者が取るケースが増えた。鹿児島交通の西村将男副社長は「路線バス業界にとって大きなターニングポイントだった」と振り返る。
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規制緩和は既存業者にとってデメリットばかりではない。赤字事業者のみが対象だった国庫補助は、黒字事業者でも赤字路線には出るようになった。市場独占が担保されなくなった一方、路線の廃止が容易になった。
鹿児島交通を含む岩崎グループは06年5月、全体の2割に当たる国庫補助などがない赤字323系統の廃止届を運輸支局に提出した。当時の岩崎芳太郎社長は「私企業の努力には限界がある」と述べた。慌てた沿線自治体側との協議の末、対象の6割ほどは統廃合や代替路線で存続した。
運輸支局によると、県内路線バスの走行総距離は00年度約5616万キロ、23年度は約4106万キロで3割近く減った。「9割の路線は赤字」とこぼす各事業者の状況を考えれば、踏みとどまっているといえる。
「バスは『生かさず、殺さず』使われている」。ある事業者幹部の言葉が響く。