有馬新七の墓前に立つ坂木洋文さん(右)と齋藤透さん=京都市伏見区の大黒寺
1862(文久2)年の寺田屋事件を巡り、京都市の大黒寺であった薩摩藩士9人(薩藩九烈士)を慰霊する164回目の法要に、犠牲となった有馬新七の親族である坂木洋文さん(72)=鹿児島市武岡1丁目=が出席した。主催者によると、有馬ゆかりの参列者は初めて。「供養を続けてもらい、本当にありがたい」と感謝を伝えた。
明治維新の原動力となった有馬は1825年、現在の日置市伊集院の坂木家に生まれ、父親が有馬家を相続した。教育者や剣豪として知られる。倒幕派だったため、公武合体派の島津久光の命を受けた藩士と京都の寺田屋で斬り合いになり命を落とした。近くで呉服商を営んでいた齋藤家が大黒寺に葬り、5月25日開いた法要は12代目当主の透さん(67)が世話役を務めた。
齋藤さんと親交があった日置市伊集院の福永正守さん(71)が、先輩の坂木さんに参列を持ちかけた。坂木さんは「仕事の都合でこれまで法要に出席できなかったが、ようやく感謝を伝えられた」。福永さんは永山由高市長の哀悼メッセージを代読し「懸け橋になれたのは無常の喜び」と語る。齊籐さんは「わざわざ参加してもらい感激した。有馬ら先人の姿を多くの人々の記憶にとどめてもらえたら」と話した。