80年前の8月6日に被爆した、原爆ドームの外観。柵に囲まれている=広島市中区大手町
広島市中区の原爆ドームは、核兵器による80年前の惨禍を今に伝える。南日本新聞など地方紙記者らが参加する広島市の国内ジャーナリスト研修「ヒロシマ講座」(7日まで)の一環で、普段は立ち入れない柵の内側からドームを見た。
猛暑日の7月30日、ヘルメットをかぶり、柵の中へ入った。ドームの内側は外壁のがれきで地面が埋め尽くされ、一瞬で破壊した原爆の脅威が伝わってきた。オレンジや黒く焼けたレンガが散らばり、大きな塊の状態で落ちた壁面も。崩れずに残った外壁は所々白く、色が剝がれていた。
ドーム南側にある鉄骨のらせん階段は、当時の形状のまま色あせた姿で残る。周辺にはレンガが散乱し、倒壊防止のパイプで補強していた。内側の中心部も黒いパイプに支えられ、保存の努力とともに長く残せるだろうかと不安を感じた。
ドームは80年間風雨にさらされ、劣化が続く。市は過去5回の保存工事を実施。3年に一度総点検し、補修を重ねている。
原爆資料館などで長く館長を務めた前田耕一郎さん(76)=鹿児島市出身=は、保存や継承について危機感を持つ。「ドームは破壊の象徴で、現在も当時のリアリティーをとどめる。劣化を遅らせ、被爆を物語る姿で伝えていかなければ」。今後も保存方法が課題となる。
◇原爆ドーム 1915(大正4)年に完成。広島県物産陳列館などとして物産展や美術展が開かれ、市民に親しまれた。改称し、広島県産業奨励館だった45年8月6日、爆心地から約160メートルの距離で被爆。爆風と熱線で大破した。残存した建物は、核兵器の惨禍を伝える重要な平和記念碑として保存され、96年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された。