甲突川河畔を照らす竹灯籠=6日午後8時半、鹿児島市小野1丁目
鹿児島市周辺に甚大な被害をもたらし、死者・行方不明者49人を出した1993年の8・6水害から32年を迎えた6日夜、同市小野1丁目の甲突川河畔に竹灯籠が並んだ。近くの下伊敷栄門町内会が記憶の風化を防ごうと4年前から続ける。住民ら12人が犠牲者に黙とうし、被害と教訓を語り継ぐことを誓った。
玉江小学校校区にある同町内会では犠牲者は出なかったものの、甲突川の氾濫でほとんどの住民が被災した。竹灯籠は5日、地元の小中学生7人が星や花などの模様を刻んで一つずつ作った。制作時には、冨永勝弘会長(71)が子どもたちに当時の写真を見せ水害の様子を伝えた。
灯籠を作った玉江小3年の奥西結咲さんは、祖母や両親から水害の話を聞いたという。「また起こったらと思うと怖い。災害がなくなってほしい」と静かに手を合わせた。冨永会長は実家の家具店が被災。自身と両親は無事だったが、濁流で商品の家具が国道3号まで押し流された。「水害を知らない住民も増えている。さまざまな災害に対して防災意識を高め、もしもの時に地域一体となって協力していけたら」と語った。