救護所の小学校にあふれる人、不気味な静けさ…怖くて走って帰った――鹿児島の被爆者、子と孫、ひ孫と祈り 長崎原爆の日

2025/08/10 06:41
孫やひ孫とともに手を合わせ、原爆の犠牲者を追悼する桐原スズ子さん(左)=9日午前11時2分、鹿児島市の探勝園
孫やひ孫とともに手を合わせ、原爆の犠牲者を追悼する桐原スズ子さん(左)=9日午前11時2分、鹿児島市の探勝園
 長崎に原爆が投下されてから80年目の9日、鹿児島市や鹿屋市でも被爆者らが犠牲となった人たちを追悼し、平和を祈った。4世代で慰霊に訪れた被爆者の桐原スズ子さん(98)=鹿児島市田上5丁目=は、核兵器廃絶への思いをあらためて語った。

 原爆が投下された午前11時2分、サイレンに合わせて桐原さんの家族や被爆2世の岡元均さん(69)らが鹿児島市の探勝園で、県原爆犠牲者慰霊平和祈念碑に向かって黙とうした。

 長崎市で被爆した桐原さんは「救護所になった小学校の校庭には、入る隙間もないほどたくさんの人がいたのに、うめき声も何も聞こえなかった。みんな亡くなっていたのでしょうか。あの光景を見たら怖くなって走って寮へ帰った」と当時を振り返った。

 孫の米丸郁乃さん(42)、ひ孫の史乃さん(9)らとともに手を合わせ、「命のある限り、核兵器はだめだと言い続ける」と誓った。

 鹿屋市のかのやイベント広場では、「反戦・反核・脱原発・平和運動をすすめる大隅市民の会」が被爆者の追悼集会を開いた。約30人が集まり、核や戦争のない社会の実現を誓った。

 全員で平和への願いが込められた曲「折り鶴」と「ヒロシマの有る国で」を合唱。松下徳二会長(87)は「広島、長崎の惨劇が繰り返されることのない世界、戦争のない地球をなんとしても築き、次世代に譲り渡したい」と語った。

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