この美しい海岸に遺体が次々と漂着したなんて――学童疎開船「対馬丸」沈没から80年、埋葬や救助に尽力した住民のひ孫ら献花 宇検村

2025/08/24 21:21
多くの遺体が流れ着いた船越海岸で献花する子どもたち=24日、宇検村
多くの遺体が流れ着いた船越海岸で献花する子どもたち=24日、宇検村
 太平洋戦争後期の1944年8月、鹿児島県十島村悪石島沖で米潜水艦に撃沈され、多くの子どもたちが犠牲となった沖縄発の学童疎開船「対馬丸」の慰霊祭が24日、多数の遺体が漂着した宇検村宇検の船越(ふのし)海岸であった。終戦から80年がたち、実際に事件を経験した人が少なくなる中、参列した児童ら約60人は悲劇を繰り返さないよう次世代に語り継ぐと誓った。

 慰霊祭は、宇検集落の住民らでつくる実行委員会が、海岸に慰霊碑が完成した2017年から毎年開いている。高齢化の影響で、事件を直接知る人は年々減少し、今年の参列者にはいなかった。沖縄の子どもたちや関係者も出席する予定だったが、船の欠航のため中止になった。

 式典では全員で黙とうし、代表者が献花した。津田政俊区長(67)は、世界で続く紛争や子どもたちの被害に触れ「報復でない対話による解決を願う。そのことが対馬丸の子どもたちから私たちへのメッセージと受け止めている」とあいさつした。

 地元の久志小中学校の児童らは海岸に下りて献花した。曽祖父(そうそふ)が遺体の埋葬に携わった5年下薗紬さんは「きれいな海からは、悲惨な出来事があったとは想像できない。もっと事件について学び、語り継ぎたい」と話した。

 対馬丸は、長崎に向かう途中の44年8月22日深夜に沈没。判明しているだけで1484人が亡くなった。宇検村の住民らは埋葬や救助活動に尽力。奄美大島での生存者は21人だったとされている。

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